「球界制度」のスタートに…?かつて契約金ゼロだった選手(3)27歳がわずか1年で“戦力外”
ドラフト会議で支配下指名された選手には、契約金というものが支払われる。「退職金」とも言われる契約金は選手にとって大切なものだが、過去には「契約金ゼロ枠」という制度があり、その枠で指名された選手も複数存在する。そこで今回は、契約金ゼロでプロ野球の世界に飛び込んだ選手を取り上げる。
深谷亮司
投打:右投右打 身長/体重:179cm/83kg 生年月日:1974年12月9日 経歴:八女工 – 九州共立大 – 河合楽器 ドラフト:2001年ドラフト13巡目 ドラフト13巡目での入団となった深谷亮司。そんな彼も、契約金ゼロで入団した1人である。 八女工から九州共立大に進み、正捕手として活躍。福岡ダイエーホークス(現:ソフトバンク)で活躍した柴原洋とともに、チームを牽引する存在だった。 大学卒業後は河合楽器に入社し、都市対抗野球の優勝に貢献。2001年のドラフト会議でオリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)から指名を受けたが、13巡目という評価での入団となった。 当時27歳という年齢でプロ入りし、即戦力としての働きが求められた深谷。しかし、右肩の故障が災いし、わずか1年で戦力外通告を受けた。 結局一軍の舞台には一度も立てないまま、オリックスのブルペン捕手に転向。 その後、独立リーグのコーチなどを経験し、今季からファームの新規参入球団である「くふうハヤテベンチャーズ静岡」の打撃・野手コーチに就任。今後どのような若手を育て上げるのか、その手腕に注目したい。
ベースボールチャンネル編集部