立浪ドラゴンズの3年は何だったのか ひとつのフェーズの終わりを告げて
「自分自身が責任を取って今年限りで辞めさせていただきます。けじめはつけます」 9月18日の阪神戦に敗れた直後、中日・立浪和義監督が辞意を伝えた。球団側も了承し、現政権は3年でピリオドが打たれることに。チーム再建の切り札と目された大物OBによる「改革」は志半ばで終わりを告げた。 【動画】中日の”4番”が渾身の一発!中田翔が開幕戦で放った豪快弾を見る ■「打つ方はなんとか」なったのか? 2021年秋、前任者の与田剛氏からバトンを継いだ際、名古屋の街は「立浪フィーバー」に包まれた。コーチ経験こそなかったが、通算2480安打&487二塁打の実績に加え、爽やかなマスクと持ち前の「負けん気」は健在。現役を退いて13年、ついに監督として古巣に戻ってきたのだ。 「打つ方はなんとかします」 就任会見で半ば公約のごとく語気を強めたのがこの発言。投手は良くても打線が……という状況にメスを入れるべく、鼻息は荒かった。実際、若手有望株の岡林勇希が2年連続160安打を記録し、現役ドラフトで獲った細川成也は2年連続20本塁打をクリア。石川昂弥もケガに苦しみつつ規定打席まで立たせた。従来と違うメンバーに多くの経験を積ませたことは評価できる。 ただ、チーム全体の得点力は上がらなかった。3年続けてリーグ最少になるのが濃厚だ。バンテリンドームを本拠地にしているため本塁打が伸びないのは仕方ないが、四球を取ることや1球で仕留める技術など、得点効率アップにつながる施策は「笛吹けども踊らず」な状態のままだった。 ■積極的な血の入れ替え 師匠筋にあたる星野仙一氏ほどではないにしろ、血の入れ替えは積極的に行った。最初の2年間でトレードを6件成立させ、最後のシーズンは中堅~ベテランの野手を大量に獲得。最下位が続くチームをなんとか変えようと、人事の面で激しい動きを見せた。 衝撃的だったのは1年目オフの二遊間解体。二塁手の阿部寿樹を涌井秀章との交換で楽天へ、遊撃手の京田陽太を砂田毅樹との交換でDeNAへ放出。2年目以降は自ら視察して獲った新人や若手、経験の浅い外国人を積極的に起用した。今季は村松開人が遊撃手として奮闘したが、この部分はまだまだ飛躍させる途中だったのではと推察する。 他方、互いにWIN-WINになるトレードもあった。代表的なのは日本ハムと2023年6月に行った「郡司裕也、山本拓実↔︎宇佐見真吾、齋藤綱記」の交換トレード。宇佐見は主戦捕手の1人となり、齋藤は左の中継ぎとして開花。対する郡司は移籍先で初の規定打席&球宴出場を果たし、山本もブルペン陣の一員に加わっている。 最終年となった今季は巨人から中田翔を呼び寄せ、4番に据える構想をぶち上げた。開幕直後は上手く回って一時は単独首位に立ったものの、故障渦により中田は度々リタイア。ダヤン・ビシエドも最後は半ば見限られる形で、リーグを代表する一塁手の共存を成立させられなかった。 ■後任はあらゆる可能性を探るべき 森繁和監督、与田監督と自他ともに認める「つなぎの政権」が2代続いたのち、満を持して「切り札」の就任だった立浪監督。明らかにフロントのバックアップの力の入れ具合が違っていたし、良くも悪くもファンの盛り上がりは凄まじいものがあった。3年目も最下位争いをしている時点で今季限りというのは既定路線だったと思うが、いざ退任が決まると心にぽっかり穴が開く感じがする。 選手時代の実績において、立浪監督の右に出る者はそうそういない。もう、「選手時代の実績」や「顔の広さ・大きさ」で監督を決めるフェーズは終わらせたほうが良い。加藤宏幸球団本部長によると、後任は10月6日のシーズン最終戦までに目処を立たせるとのことだが、拙速に決めるのではなく、あらゆる可能性を探った上で決めてもらいたい。そうしないと、球団史上に残る大低迷を脱することはできないはずだ。 文:尾張はじめ