「ナイター後、車で宿に戻るのは夜中2~3時」筒香嘉智24歳がデバース、ポランコらとドミニカで…サポートした阪長友仁43歳が見たリアル
ドジャースアカデミーの指導者と出会って…
阪長氏はドミニカ共和国にあるロサンゼルス・ドジャースのアカデミー指導者であるアントニオ・バウティスタ氏と出会い、自身の次なる使命を見つけていく。 この頃には海外に野球の楽しさを伝えるという活動から、海外の野球で学んだことを日本に還元したいと思うようになった。 「ドミニカ共和国の野球を見ていると、もっと日本の野球は変わっていかないと、発展性がないんじゃないかと痛感させられました。この国や他の国で学んだ野球指導の経験を活かせば、日本の選手たちの可能性をもっと引き出せるんじゃないか、日本の野球を世界に広めようと出ていったが、逆に日本が世界から学ぶこともたくさんあるのではないか、と思うようになったんです」 阪長氏はグアテマラでの3年の任期が終わるタイミングで、次の赴任先としてドミニカ共和国を希望したが、派遣先は全く別の南米の国だった。 「それで今後は日本に帰ってドミニカ共和国など、日本にはまだない育成の考え方を広めようと考えて、JICAからの南米派遣の業務を断り、日本に帰ってきました」
筒香がOBの少年野球チームで指導することに
阪長氏は日本に帰って大阪府堺市の少年野球チーム、堺ビッグボーイズで子どもたちを指導することになった。堺ビッグボーイズの代表の瀬野竜之介氏(現GM)は、阪長氏の恩師、新潟明訓高校の佐藤和也監督と交流があり、以前から面識があった。 堺ビッグボーイズは、ボーイズリーグ日本一にもなった強豪チームだ。OBには、現DeNA筒香嘉智や、現オリックスの森友哉などがいる。 しかし、瀬野氏は小・中学生の頃から子どもにハードな練習を強いたり、目先の勝利を追い求めるような日本の少年野球の在り方に疑問を抱いていた。そして「子どもたちの未来」を第一に考えるドミニカ共和国の野球の大切さを説く、阪長氏に活動の機会を提供した。 「卒団後も筒香選手のサポートをしていた瀬野さんと、当時横浜DeNAベイスターズでプレーしていた筒香選手がプロの野球選手として能力を発揮していく上で、どのような環境を作っていけば良いかということを話し合っていました。その中で、ドミニカ共和国のウィンターリーグでプレーすることも彼の将来にとってプラスになるのではないかという話が出てきたんです」
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