遅咲きだった「陰陽の達者」安倍晴明
3月3日(日)放送の『光る君へ』第9回「遠くの国」では、東三条殿で盗みを働いた直秀(毎熊克哉)たちに無情な処罰が下される一方、右大臣・藤原兼家(ふじわらのかねいえ/段田安則)の企む陰謀が明かされた。 ■思いがけない直秀の死に道長が慟哭する 東三条殿で捕まった直秀らは、検非違使(けびいし)に引き渡された。藤原道長(みちなが/柄本佑)は手荒な真似はせぬよう、役人に心付けを渡して早めに放免するよう言い渡した。 そんな折、昏睡していた藤原兼家がにわかに目覚める。実は彼はすでに安倍晴明(あべのはるあきら/せいめい/ユースケ・サンタマリア)の祈祷により目覚めていた。その際に兼家が自らの野望の行き詰まりを吐露したところ、晴明は自らの秘策を売り込んでおり、そのために兼家は寝たフリを続けていたのだという。 兼家が晴明とともに進めている計画を家族に打ち明けるなか、密かに父の陰謀に加担していた二男・藤原道兼(みちかね/玉置玲央)は、道隆(みちたか/井浦新)ら兄弟を出し抜き、鼻を明かした高揚感に身を震わせていた。 一方、直秀らの流罪が決まったと知らされた道長は、まひろ(のちの紫式部/吉高由里子)を連れ立って見送りに向かう。しかし、聞いていた刻限に獄に向かうと、門番はすでに一行が出立(しゅったつ)したと告げる。慌てて後を追った道長らが目にしたのは、鳥辺野で無惨に殺された直秀らの遺体だった。 本来であればむち打ちか、腕を折る程度で済む罪だったが、早期釈放を望んで道長が心付けを渡したことで、何らかの手違いが起こった。役人も直秀らと同様に貴族に恨みを持っていたために言いなりになるのを拒否したのか、あるいは遠国に随行する手間を煩わしく感じたものか、いずれにせよ、道長の行ないが直秀らの殺害につながったらしい。 直秀の死に責任を感じた道長は、その場で泣き崩れた。まひろは黙って道長を抱きしめることしかできなかった。 その頃、宮中では、晴明が花山天皇(かざんてんのう/本郷奏多)に出家を勧めていた。晴明が兼家に授けた秘策が実を結ぼうとしていた。 ■日本独自の陰陽道を確立 安倍晴明は、日本における陰陽道(おんみょうどう)を確立した人物で、「陰陽の達者」「道の傑出者」などの称賛とともに、数々の不思議な伝説が伝わっている。 そもそも陰陽道とは古代中国で発達した占術。単なる占いの枠を飛び越え、信仰や哲学などの側面をも持ち合わせた、一種の技術体系ともいえる。陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)に基づき、個人の運勢から国家の政策まで、さまざまな事柄の吉兆を占った。その根拠には天文や方位などの知見も加わるため、今日でいう学者に近い存在であったようだ。 日本に陰陽道が輸入されたのは、6世紀半ば頃の仏教伝来に前後するという。かの聖徳太子も冠位十二階や十七条憲法の制定に陰陽道を取り入れたとする説もある。 中国から伝わった陰陽道は、やがて神道や仏教などと混じり合うことで、日本独自の発展を遂げた。日本では学問・学者というより、呪術・術者といった色合いを濃くしていったようだ。