漬物は「常温で長期保存」できるのに、なぜ「浅漬けはダメ」なのか…? まさに「命がけ」の試行錯誤から生まれた「腐敗させない」4つの条件
腐敗菌を防ぐ条件1:温度
スーパーの鮮魚売り場では、同じ種類の魚介でも生牡蠣などには「生食用」と「加熱用」の区別がある。刺身として食べるには少々不安でも、火を通せば大丈夫。加熱すれば微生物は死滅するので、腸内で病原菌が繁殖する心配はなくなる。火を発見した古代の人々は、少々傷んだ獲物の肉でも焼けば食べられることを覚えたのだろう。 一方、温度を低く保てば腐敗を遅らせることができる。冷蔵庫や冷凍庫は腐敗菌の繁殖に必要な温度よりも低温に保つためにある。文明の利器が利用できなかった時代でも、食料を氷室(ひむろ)や穴蔵に貯蔵して長持ちさせていた。
腐敗菌を防ぐ条件2:水分
食料の保存法として最初に編み出された方法は乾燥だろう。古代人はたくさん獲れた魚を天日に干して乾燥させ、狩りで倒した獲物の肉を燻(いぶ)して水分を抜くことにより、後日の食料を確保した。ブドウのように粒の小さな果物は乾燥して保存できる。水分含量の少ない穀類は、そのまま保存食品として重宝したことだろう。 発酵食品にも、鰹節や干し納豆など、乾燥させることにより食品の保存性を確保しているものがいくつもある。
腐敗菌を防ぐ条件3:塩分
海水の塩分濃度は約3.5%だが、塩分が8%程度になると繁殖できる微生物が限られるようになり、15%を超えるとほとんどの微生物は生育できない。浸透圧により、細胞内の水分を吸い出されてしまうためである。 人類は古来より腐敗しやすい魚、獣肉、野菜などの食品を塩漬けにして保存してきた。現代でも魚介類は塩辛、獣肉はハムやコーンビーフなどに加工して保存されている。じつは、高濃度の塩分存在下で生育できる好塩性細菌も存在するが、このような微生物は生育が遅いうえに高濃度の塩分がないと生育できないので、病原性を発揮することはまずない。 発酵食品にも、醤油や味噌などのように高い塩分濃度により保存性を確保しているものは数多い。
腐敗菌を防ぐ条件4:pH
白菜などの野菜を放置しておくとドロドロに腐ってしまうが、壺に入れて糠(ぬか)に漬けておくと、いつの間にか酸味が出て長持ちする。このように糖分を含む食品を通気を制限して保存すると、たいていは乳酸菌が繁殖する。 乳酸菌は大量の乳酸を生成してpHを低下させる、つまり酸性にすることにより、中性付近のpHを好む雑菌を死滅させて自分たちに都合の良い環境を作り上げる。ほとんどの腐敗菌や病原菌は中性からやや塩基性の環境を好むため、乳酸菌が生育してpHが4.3程度まで下がると、健康被害をもたらす微生物はほとんど生育できない。 発酵食品の製造現場では、乳酸菌の出番が非常に多い。漬け物やヨーグルトは主役として働く乳酸菌がイメージしやすいが、チーズ、清酒、味噌、醤油、赤ワインなどの製造にも乳酸菌が重要な役割を果たしている。このように食品のpHを低下させることにより、雑菌の繁殖を抑え食品の保存性をよくすることが発酵食品の第一の意義である。 野菜や果物には糖分が多く含まれている。穀物の主成分であるデンプンも、分解されると糖分になる。デンプンや糖分は炭素(元素記号C)と水素(H)と酸素(O)により構成され、それぞれが1:2:1の割合で含まれている。 つまり、炭素(C)が水(H₂O)と結合した形となっているので、炭水化物とよばれる。糖分は微生物に分解されると、乳酸や酢酸などの有機酸を生成してpHが低下する。甘酸っぱい匂いを放つようになり、酸味の強い味わいとなる。 一方、魚、獣肉、牛乳などにはタンパク質が多く含まれている。タンパク質には炭素と水素と酸素の他に窒素(N)と硫黄(S)が含まれているため、微生物に分解されると窒素を含むアミンやアンモニアが発生してpHが上昇する。 窒素や硫黄を含む化合物が生成するため猛烈に臭くなるうえに、pHが中性から塩基性に傾くため腐敗菌や病原菌が繁殖しやすくなり、非常に危険である。このような発酵食品では、多量の塩分を加えることにより病原菌の生育を防ぐことが多い。 漬け物は野菜を長期保存するために有効な手段だが、腐敗を防ぐために大量の食塩を加えるか、十分に乳酸菌を繁殖させてpH4程度の酸性にする。このようにして造られる塩辛い漬け物や酸っぱい漬け物は常温で長期保存できる。 一方、浅漬けなどはこの条件を満たさないので腐敗しやすい。浅漬けは漬け物なのに冷蔵保存が必要であり、早く食べなければならないことにはこのような理由がある。 ※本記事は、『日本の伝統 発酵の科学』(ブルーバックス)を抜粋・再編集したものです。 ---------- 『日本の伝統 発酵の科学 微生物が生み出す「旨さ」の秘密』味噌、醤油、納豆、清酒、酢、漬物、鰹節──。微生物を巧みに使いこなし、豊かな発酵文化を築いてきた日本。室町時代にはすでに麹菌を造る「種麹屋」が存在し、発酵の技術は古来から職人技として受け継がれてきました。多様な発酵食品の歴史をたどりながら、現代科学の視点からも理にかなった伝統の技を紹介、和食文化を支える世界に類を見ない多彩な発酵食品、その奥深い世界へと読者を誘います。 ----------
中島 春紫(明治大学教授)