日本国籍放棄→香港代表でもプレーした“流転のサムライ”が歩んだ波瀾万丈なサッカー人生。「チーム数は鈴木隆行さんくらい多い」
不動産会社に勤務しながら代理人業もこなす
傑志から期限付きで古巣の大埔へ移り、20年から3シーズン理文でプレーして昨年6月に引退。「2チームから話もありましたが、サッカー選手以外のことに挑戦したい気持ちもあったので決断しました」と言う。 ただ理文は昨年8月のACLプレーオフで浦和と対戦したとあり、「あと1年早ければなあ」と苦笑交じりに悔しがった。 香港での14年間については「たくさん得点できたのはみんながパスを出してくれたから。温かい仲間が多く、かわいがってもらった」と総括し、ギャラについて尋ねると「給料もボーナスも理文が一番高く、クラブによっては変動がすごかったですね。僕の所属クラブはなかったけど、未払いで係争しているところもありました」と裏話を披露した。 昨年7月から青学大で土日に指導し、10月からは不動産会社に勤務しながら代理人業もこなす。 青学大は昨季の関東大学リーグ2部で10位と低迷。3部3位の慶大とのプレーオフに敗れ、今季は3部に降格してしまった。「ボールへの強度や前へ突き進む積極性が足りなかった。香港では弱小チームでも前に行きます。そこでボールを奪えるかどうかで違いが出てくる」と検証する。 1部でプレーしたOBとして「力のある選手が多いので3部にいるのはもったいない。まずは2部、さらに1部と上のステージを経験させたい」と今後の目標を述べた。 仕事でもいろんなことに挑戦し、会社の大きな戦力になれるよう努力と勉強を続けるという。“可能であれば”と前置きし、「将来、香港のチームで指導できたらいいですね」と夢を語った。 <文中敬称略> 取材・文●河野 正