「芸の肥やしはあり得ない」不倫断罪も屈辱にまみれる三田寛子、タモリも反対した“梨園への就職”
歌舞伎役者との結婚は、梨園への就職
歌舞伎役者も所属する老舗芸能プロダクションのマネージャーは、「よく言われるのが、“歌舞伎役者との結婚は、梨園への就職”です」と内情を明かす。 「ひと言で言えば女将さんは“スーパー秘書”ですよ。俳優のスケジュール管理や公演の営業に広報、さらには贔屓筋への接待、劇場ではお客様の受付もこなすハードな仕事。それでいて妻として家事を、母親として育児もしなければなりません。 役者にしてみれば、自分の母親の役割を妻が引き継ぐわけで、次第に“お母さん”に見えてくる。となると“外”に色恋を求める役者が多くなるのかもしれない」 4度も“裏切り”にあった三田の今を予見していたのか、芝翫(1991年当時は三代目・中村橋之助)との結婚に“待った”をかけていたのが、1984年に『笑っていいとも!』月曜日レギュラーを務めた彼女をかわいがっていたタモリ。
当時の『いいとも!』を知る元テレビマンによる話。 「超がつくほどの天然でドジっ子、今でいう“おバカキャラ”がウケた三田さんは一躍、お茶の間の人気者になりました。受け持った料理コーナーで材料や手順を間違えるミスを連発しても、その前向きで明るい笑顔に視聴者が、タモさんが絆(ほだ)されていきました」 そんな愛されキャラの彼女が歌舞伎俳優と結婚するーー。「えっ、本当に?」かつてのスタッフだけでなく、業界全体がざわついた。
寛子ー、やっぱりやめといたら?
「何より心配されたのが、“のんびり屋さんに梨園の妻が務まるのか”ということ。タモさんも内情を知っていたのでしょう。彼女の結婚を祝福する一方で、冗談混じりに“寛子ー、やっぱりやめといたら?”と反対したと(笑)。 それにーー、当時の歌舞伎役者といえば、今よりも“芸の肥やし”が許される傾向が強かった時代。それこそタモさんも、"モテ男”だった橋之助(芝翫)さんの浮き名を耳にしていたのかもしれませんよ」 芝翫との結婚で女優の道を閉ざした三田だったが、真面目で直向きな性格で精進を続けた結果、今や梨園を代表する妻の1人としてとして称えられている。 そんな彼女が「芸の肥やしはあり得ない」としつつも、屈辱の日々を耐え忍んでまで離婚しない理由。3人の息子たちを夫以上の立派な役者に育て上げることが支えになっているのかもしれない。