移民のルーツに思いはせ「父が生きていてくれたら」 エマニュエル大使、離任会見で涙
離任を控えている米国のラーム・エマニュエル駐日大使2025年1月10日、東京・丸の内の日本外国特派員協会で記者会見し、目に涙をためて声をつまらせる場面もあった。 【動画】エマニュエル大使の発言をみる ユダヤ人迫害を逃れた移民をルーツに持つ自分が、米国の代表として大使を務めたことに感極まったようだ。 ■祖父はユダヤ人迫害を逃れたモルドバ移民 エマニュエル氏は22年1月に着任。冒頭発言では、主に大使としての3年間の日米同盟の深化について主に言及した。その後、「最後に、私についていくつか締めのコメントをさせていただければ」と切り出し、 「個人的なことだが、祖父や父の話をすると泣き出してしまうので、決して話してはいけないと、子どもたちにいつも注意されていた」 などと述べた。さらに、声を震わせながら、自らのルーツを 「私は米国に移民したイスラエル人の息子で、世紀末のポグロム(19世紀末から旧ロシア帝国内で断続的に起きたユダヤ人迫害)を逃れたモルドバからの移民の孫だ」 と説明。国の名前や言語も知らないままでの移民だったことにも触れた。そういった境遇から大使を務めたことについて、その感慨を次のように話した。 「移民の息子も孫も、いつか国の代表として海外に赴き、その国の価値観や理想を代弁するという最高の栄誉のひとつを手にするレベルに達することができるのは、米国のような国においてのみ可能なことだ」
「父と祖父に誇りに思ってもらえると思う」
「父が生きていてくれたら」とも述べ、大使としての活躍を父親に見せられなかったことを悔やんだ。さらに 「そして、米国とその理想に抱かれた私の家族の物語が、ここ日本で米国を代表する栄誉を与えてくれた。父と祖父に誇りに思ってもらえると思う」 と続け、涙をぬぐうようなしぐさを見せた。 「中央公論」22年10月号のインタビューによると、父方の家族は、ポグロムが原因で、ウクライナのオデーサからイスラエル建国前のパレスチナに逃れた。その後、父親はイスラエル建国の地下活動に参加した。母方はウクライナの隣国、モルドバの出身で、祖父は10代前半に米シカゴに移住したという。 (J-CASTニュース編集委員 兼 副編集長 工藤博司)