デヴィッド・ボウイが“飛び降り”で体現した「ロック・スターの破滅的な最期」…ライブに日本文化を取り入れて目指した新たな進化とは
2016年1月10日にこの世を去ったデヴィッド・ボウイ。死のわずか2日前に69歳の誕生日を迎えていた稀代のロックスターの代表作『ジギー・スターダスト』にまつわる日本初来日公演での逸話を紹介する。 【画像】裸同然のサポーター姿になったデヴィット・ボウイが意識した日本文化
初来日の翌日、山本寛斎の事務所へ向かったデヴィッド・ボウイ
デヴィッド・ボウイが初めて日本の地を踏んだのは、1973年4月5日のことだった。 前年にリリースしたアルバム『ジギー・スターダスト』は、全英チャート5位にまで登りつめてイギリスでの人気を不動のものにした。 コンセプチュアルなアルバムの内容は、架空のロック・スター、ジギーの栄枯盛衰を描くというもの。ボウイはツアーで自らジギーに扮してステージに上がり、多くの若者が感化されてそのファッションを真似した。 幼少期から日本の文化に強い興味を抱いて、芸術やファッションから強い影響を受けてきたボウイにとって、日本へ行くことは長年抱いてきた夢だった。 来日した翌日、ボウイはファッションデザイナー・山本寛斎の事務所へと向かう。日本で催されたファッション・ショーをビデオで見て寛斎のファンになり、歌舞伎などの伝統演劇を取り入れた衣装を何点か注文していたのだ。 できあがった衣装の中でボウイの目に止まったのは、歌舞伎の「引き抜き」と呼ばれる演出を取り入れた衣装だった。引っ張ると衣装が外れて中から新たな衣装が現れる仕組みで、ステージ上で瞬時にチェンジすることができる。 ボウイは日本ツアーで、早速この衣装を試した。
ロック・スターの破滅的な最期を体現するため、飛び降りパフォーマンスも披露
日本の観客には言葉が通じないだろうと危惧していたボウイは、劇場性と肉体性に力を入れた派手なアクションやパフォーマンスで、ジギーの世界を表現しようとした。 ステージ上で次々と衣装が変わる度に、会場全体が大いに盛り上がった。そしてアンコールではついに全ての衣装を脱ぎ去った。 裸同然ともいえるサポーター姿になると、会場のボルテージはピークに到達した。本人によればこれも日本文化の相撲を意識した表現なのだという。 肉体的なパフォーマンスを追求するあまり、行き過ぎたことも起こった。 3m以上の高さから飛び降り、ロック・スターの破滅的な最期を体現してみせた時は、その代償として身体を激しく痛めてしまった。 ともあれ、進化を遂げていくボウイのパフォーマンスによって、日本公演は大盛況となって、行く先々で会場を熱狂の渦に包み込むのだった。 そんなボウイがツアーの合間に足を運んだのは、歌舞伎の舞台だった。女形のトップとして知られる歌舞伎役者の坂東玉三郎と対面し、直々に女形のメイクアップを教わった。 玉三郎は初めてボウイに会った時の印象について、ステージに上がっていない時であってもジギーを演じ続けているということに驚いたという。 しかし、長時間にわたって別の人格になりきるというのは、かなりの精神的な負担を強いることだった。それはデヴィッド・ボウイとて例外ではなく、次第にジギーを演じ続けることに苦痛を感じ始めた。 そして来日から3ヶ月後の7月3日。ハマースミス・オデオンのステージでボウイは突如、ジギーからの引退を宣言する。