突然消えた愛車「遊ばせない方がいい」 先輩が母に進言…プロ入りへ導いた後の大物社長
大学進学は取りやめ、銀行に就職内定も…高3の12月に近鉄から誘い
次の進路は当初、大学を考えていたが、やめたという。「近大の練習参加に行って(松山商の)山下律夫(元大洋、クラウン・西武、南海投手)と一緒にブルペンで投げたんですけど、あの当時はねぇ……。今は絶対駄目ですよ、絶対できないけど、あの頃はボコボコでしょ。そういうのを見て、こんな恐ろしいところに行ったら……と。大学はどこもそうなんだろうって思ったんですよ」。山下は近大に進学したが、伊勢氏の大学への熱は一気に冷めた。 「東京の方の大学からもスポーツ推薦の話があったけど、母親もそんな遠いところにやりたくないということだったし、私もそこまでして勉強しながら野球をやりたいとは思わなかったんです」。そこで浮上したのが池田銀行だ。「社会人は小西酒造の夏の洲本でのキャンプに参加しましたが、親父の仕事の関係で取引があった池田銀行の試験を受けることになった。テストは全然できなかったんですが、合格したんですよ」。 伊勢氏は「銀行で人様のお金を数える仕事とかが自分にできるわけない」と思っていたそうだが、話はそこに就職の方向で進んでいったという。そんな時だ。「12月になって、近鉄スカウトの江田(孝)さんが家に来てくれたんです」。まだドラフト制度がない時代。思わぬプロからの誘いにまた流れが変わった。「勉強も何もしないで野球だけやればいいやないか、大学に行かせたと思って4年間、面倒見るわって親も言ってくれて、それで近鉄に行くことにしたんです」。 振り返れば、先輩の福田氏の母への進言がなかったら、バイクを乗り回して高校時代が終わっていたかもしれないし、もしも、近鉄・江田スカウトが家に来なかったら「銀行に入って準硬式野球をやっていたでしょうね」。近鉄に入団していなければ、名将・三原脩氏に「伊勢大明神」のニックネームをつけられることもなかっただろう。「人生ちょっとしたことでねぇ……」と伊勢氏はしみじみと話した。
山口真司 / Shinji Yamaguchi