「かわいいね」ダウン症の娘への言葉を受け入れられなかった長谷部真奈見 そのとき弟が語った「描けなかった将来」
2008年8月にダウン症のある娘を出産したフリーアナウンサーの長谷部真奈見さん。周りからの言葉や出生前検査について、どう感じているのでしょうか。(全5回中の5回) 【画像】「水色の衣装が似合ってる」娘さんがフィギュアスケートに挑戦した写真から母の誕生日に懸命にハンバーグを作る姿まで 長谷部家の家族写真を公開(全13枚)
■大丈夫だよ、お母さんと言われても ── 2008年8月に出産された娘さんにダウン症がありました。周りの方から出生前検査を受けたかどうか、聞かれることもあったそうですね。 長谷部さん:ありました。でも、私は20代で出産していたので、病院から特に案内もなかったですし、自分でも気にしていませんでした。もし、出生前検査を受けてダウン症の確率が高いと言われていたら、きっと諦めていたかもしれないと思います。ダウン症の知識も育てていく自信もなかったので。
── 病院で「ダウンちゃん」「元気だして」といった言葉をかける人も多かったとか。 長谷部さん:出産に対してまずは「おめでとうございます!赤ちゃん無事に産まれました。お母さん頑張ったね。でも、医学的に心配があるので検査されますか?」と言われていたら、ダウン症に対する受け止め方も違ったかもしれないです。 でも看護師さんから「大丈夫だよ、お母さん」と言われても、いや、私まだダメって言ってないし。「元気出して」と言われても、そんなに私、元気ない?元気がないかどうかはわからないでしょ。「まだ若いから次、頑張れるよ」。たしかにそうかもしれないけど、今やっとひとり産んだばかりなので…と思いました。よかれと思って言ってくれたのかもしれませんが、私にとっては辛い言葉でした。
── 最初にかける言葉や伝え方によって、受け取り方は大きく変わりますよね。 長谷部さん:そもそも、ダウン症と言われてみんながみんな、私のようにショックを受けたり、凹んだりするかどうかはわからないですね。もし、ハッピーな考え方の病院があったとして、たとえば「お母さん、もしかしたら1000人に1人のダウン症かもしれないです。すごい才能があるかもしれませんよ。」ってスペシャルな感じで言ってくれたら…もちろんそんなことがないのはわかってますけど、もしそうだったら私は変わっていたかもしれないなって思うことはちょっとあります。
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