「母国と広島の惨状が重なった」広島・原爆資料館の音声ガイドにウクライナ語 日本に避難した留学生が翻訳
広島市の原爆資料館で2月から、ウクライナ語の音声ガイドが導入されています。翻訳したのは、福岡県に避難しているウクライナの学生たちです。学生たちは21日、広島を訪れ原爆資料館を見学しました。 【写真で見る】ウクライナの学生たちが広島を訪れ原爆資料館を見学~戦闘が続く母国のいまと広島の惨状が重なった~
「きのこ雲」…初めて目にする日本語に苦戦
広島の原爆資料館を訪れたのは、日本経済大学(福岡県太宰府市)に通うウクライナの学生たちです。3人はロシアによるウクライナ侵攻が始まったおととし、家族のもとを離れ、福岡に避難してきました。今回、初めて広島を訪れたきっかけは、2023年5月に開催された「G7広島サミット」でした。 ウクライナのゼレンスキー大統領が原爆資料館にウクライナ語の音声ガイドがないことを知り、大使館が学生たちに翻訳を依頼。半年ほど前から、被爆者の遺品や写真などに関する説明の翻訳に取り組んできました。「きのこ雲」など初めて目にする言葉に苦戦しながらも、被爆者の話を聞きながら1つ1つの言葉を丁寧に翻訳してきた3人。侵攻から2年が過ぎても終わりの見えない戦闘が続く母国のいまと広島の惨状が重なったと話します。 カテリナ・マニコフスカヤさん「一番難しかったことは自分の気持ちの扱いでした。恐ろしい被害について読む時は、とても苦しくてたまらなかったです」
自分たちが翻訳した音声ガイドで見学
3人は自分たちが翻訳した音声ガイドを聞きながら、展示された資料を見学しました。爆心地から200メートルの場所で遺骨とともに掘り出された時計などを見て、原爆の恐ろしさや戦争の悲惨さを感じていました。 スヴィトラナ・レヂコさん「心が痛くて頭が痛くなるほどで、涙が出てきました」 マリヤ・コルネヴァさん「翻訳しながら苦しさを感じましたが、今展示を見て、苦しさをもっとはっきり感じることができました。広島の資料館は、世界の歴史にも未来にもとても大事なところです。この展示は平和を大切にするメッセージがあると思います」
「日本人の強さと広島の現状を見て感動した」
このあと原爆ドームや慰霊碑も訪れた学生たち。今回の広島訪問であらためて平和への思いを強くしていました カテリナさん「ウクライナはぜひもうすぐ平和になってほしいと考えながら祈りました」 マリヤさん「日本人の強さと広島の現状を見て感動しました」 スヴィトラナさん「それぞれの被害者の名前を忘れずに、歴史を学ぶようにしたいと思っていました」