【プレイバック’04】最後の牛丼食べたさに「数時間待ち」の行列…吉野家の牛丼が販売休止となった日
10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたび振り返る【プレイバック・フライデー】。今回は20年前の’04年2月27日号掲載の「全国騒然!吉野家『牛丼〝復活〟のXデーはいつ!?』」をお届けする。 【画像】すごい…!“最後の牛丼”を求めてサラリーマンたちでごった返す吉野家の店内…! 「牛海綿状脳症」(BSE)、いわゆる「狂牛病」は、’90年代後半から世界的な問題となっていた。そんな中で日本では’01年にBSE発生国からの牛肉の輸入禁止を決定。そして’03年にはアメリカでもBSE感染の疑いのある牛が発見されたことから、同年12月24日をもって米国産牛肉の輸入も禁止となった。看板メニューである牛丼の原料を米国産牛に頼っていた吉野家は、’04年2月11日をもって牛丼の販売を休止することを発表したのだった――。 ◆〝最後の1杯〟をもとめて100人以上が並んだ 記事では当時の狂騒ぶりをこのようにつたえている。 《「2月1日」は牛丼ファンにとって、けっして忘れ得ぬ日となるに違いない。 この日、〝牛丼ひとすじ100年〟の『吉野家」のメニューから、「牛丼」の二文字が消えた。2日の『なか卯」(業界4位)、5日の『すき家』(同3位)に次いで、最大手の吉野家までもが牛丼の販売を休止したからだ。 〝最後の日〟が近づくにつれて、客足はどんどん伸び、日本一の売上高を誇る有楽町店前は10日、約100人の行列ができるほどの大盛況。翌日も客で溢れ、午後2時、販売休止となった。》 4日後の15日からは松屋も牛丼を販売休止。それではいつになれば〝牛丼復活〟となるのか。あくまで安全な肉でなければ輸入をしないという日本に対して、米国は9日にBSE感染原因の調査打ち切りを発表するなどしており、当面の輸入再開は望み薄だった。 吉野家はオーストラリア産牛肉を代用した牛丼での販売継続も検討したという。実際に全国で9店舗だけは国産やオーストラリア産牛を使った牛丼が11日以降も販売されていた。だが、それは吉野家本来の牛丼の味ではなかったという。記事では経営評論家の緒方知行氏が次のようにコメントしている。 《「たしかに、吉野家の牛肉の味は米国産のものでしか、再現できません。吉野家と米国との共同開発で作られた肉です。米国と豪州の牛では、飼料のバランスが違うので、ほかの牛肉に換えることはできないんです」 やはり、豪州産牛肉ではダメなのか。途方に暮れていた本誌に、緒方氏はこんな嬉しい情報を付け加えてくれた。 「どうやら、豪州の牛を使っていまの吉野家の味にするには、約4ヵ月間、豪州の牛に米国で与えているものと同じ飼料を与え、牛の体質そのものから変えればいいというんです」》 4ヵ月後――、’04年6月は牛丼復活の〝Xデー〟となるのだろうか。 結果的に、’04年の6月に吉野家の牛丼が復活することはなかった。米国産牛の輸入は’05年12月に一度再開されたものの、輸入禁止部位である脊柱が混入していたことから’06年1月に輸入再停止。〝Xデー〟は輸入が再々開された後の9月まで待たなければならなかった。それも最初は1日限定で100万食だけという限定販売。その後も限定販売の期間はしばらく続き、牛丼の24時間販売が再開するまでには’08年3月まで待たなければならなかったのだ。 大手牛丼チェーンの中でもとくに米国産牛の輸入停止の影響を受けたのは吉野家だった。それまでメニューは牛丼だけだったこともあり、牛丼の販売休止後は豚丼やカレー丼などの新メニューを販売したものの、お客は激減したという。また、オーストラリア産牛肉などを使って早々に牛丼を復活させたすき家や松屋に客が流れることにもなった。 だが、米国産牛肉の輸入再開まで牛丼は復活させないと明言し、それを実行した吉野家を支持するファンは現在でも多く、その経営判断は評価されている。
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