「経済大国」時代に円安対策で利上げ 通貨不安と物価高を防止した日銀
円安に歯止めかからず… 日銀の利上げはありうるか
円安に歯止めがかからない。 最大の要因は内外とくに日米の金利差だ。日本が低金利(金融緩和策継続)でアメリカが高金利のため、日本からアメリカへマネーが流れる、円を売ってドルを買う。 【画像】「経済大国」時代に円安対策で利上げ 通貨不安と物価高を防止した日銀 金利差を小さくするには、アメリカが利下げするか、日本が利上げするか、2つしかない。ところがアメリカのFRB(連邦準備制度理事会)は12日、利下げについて年に3回という想定を1回だけに減らした。 そこで6月13日からの日銀の金融政策決定会合の結果に注目が集まる。 円安対策を念頭に置いた金融政策、とくに金利引き上げというのはありうるのか。 “アベノミクス”“黒田バズーカ”による大規模な金融緩和で事実上の超円安誘導が固定されて以降、なかなかその姿を想像できなくなった。 しかし円安防止を念頭に置いた金利引き上げは過去にあった。今から44年前、1980年だ。
イケイケ「経済大国」時代でも円安対策はあった
「円安防止へ緊急策」という新聞一面見出し。ここ最近の紙面のようにも見える。実際は1980年3月3日だ。 円安による通貨不安を回避するため、各国の通貨当局が協調介入を決めたことを伝える記事だ。 「円相場の下落を放置すれば本格的な通貨不安を招く恐れがあると各通貨当局が判断した」「大きく円安に傾いている円・ドル市場の空気を変えるため、ドル売り・円買いの市場介入を強化する思い切った対応策をとる必要がある、と判断したとみられる」(『朝日新聞1980年3月3日』)。 この年は円相場が年明けに1ドル233円台を付けてから下がり続けた。242円台に下落した2月中旬以降は、政府・日銀がドル売り円買いの単独介入を連日行った。 それでも抵抗線の250円を2月末に割り込み、国際的な協調介入で円を買い支える緊急策という事態に追い込まれたのだ。 円を主な対象とした協調介入は初めて、と報じられた。 1980年と言えば、世界のGNP(国民総生産)に占める日本の比重が約10%に達し、日本が「経済大国」になったとされる年だ。高校日本史の教科書にも太字で出てくる。前年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』も刊行されたばかりだ。少子高齢化もデフレもまだない。 そんな、いわば日本経済がイケイケだったと言える時代にも、急激な円安を契機に通貨不安・物価高への対策が必要だったのだ。 なぜイケイケ時代の経済大国なのに円安だったのか。 国際的なインフレや政情不安も背景にあったが、最大の要因は結果として日本の公定歩合は7.25%、それに対してアメリカ13%をはじめとする内外金利差があったためだ。 アメリカや西欧各国の高金利政策の狙いには高金利で自国通貨高を維持し、輸入インフレを弱めようという思惑も含まれていたとされる。 「以前のように為替レートの切り下げ競争で輸出を増やし、輸入を減らす方式を各国が採らないのは、それなりの理由がある。それは為替レートを切り下げるとその分輸入コストが高まって国内インフレが激化、長期的にその国の経済、対外競争力を弱めるという点が重視されるようになってきたからだ」(『日本経済新聞1980年2月18日』)。 実に44年前の指摘である。日本にはいまだに根強い“超円安信者”がいるが。