恋愛許されず差別受けていた時代の俳優、松井須磨子の「マイナスイメージ払拭」 少女時代を過ごした養家の子孫が記念館設立構想
一般社団法人「松井須磨子協会」(東京)代表理事の堀川健仁(けんと)さん(35)=静岡市=が、長野市松代町出身の俳優、松井須磨子(1886~1919年)を顕彰する記念館設立を構想している。松代町を軸に市内を想定。須磨子は女性や役者の地位が認められていなかった時代に全国で活動し、劇中歌「カチューシャの唄」は大流行。演出家島村抱月(1871~1918年)との不倫などが取り上げられがちだが、演劇史に大きな足跡を残した。「没後100年が経過した今こそ再評価できる」としている。(立川あづき) 【写真】劇中歌「カチューシャの唄」は大流行。演劇史に大きな足跡を残した松井須磨子
堀川さんは須磨子が少女時代を過ごした養家、長谷川家(上田市)の子孫。静岡市で広告会社を営む。須磨子について幼い頃から親族との認識はあったが、自由恋愛と最期のイメージが強く、関心は薄かった。近年、その生涯を調べ、大きな功績を残したと実感。「マイナス面ばかりが有名で悔しい気持ちがあった。イメージを払拭したいと思った」
2023年に同協会を設立。須磨子が所属した芸術座の拠点だった東京・神楽坂でイベントを開くと、約70人が集まり、中には「(松井須磨子は)神楽坂のスターですよ」と言う人もいたという。「俳優として知られていることがうれしかった。もっと広めたいと思った」
記念館設立の動きがなかった背景として、当時は役者や女性の地位が低かったことなどを挙げる。「須磨子は時代を先取りし過ぎていた。今なら努力して活躍した功績をたたえることができる」。関心を持つ人も高齢者が多いといい、須磨子の存在や足跡を末永く継承したいとしている。
展示は、堀川さんが所有する舞台写真や脚本など約50点を考えている。寄贈なども受け付ける。空き家の活用を検討。建物の所有者やボランティアら協力者を募っている。
[松井須磨子] 本名は小林正子。埴科郡清野村(現長野市松代町)生まれ。少女時代、上田市の長谷川家の養女に。1913(大正2)年に文芸協会退会後、島村抱月らと「芸術座」を立ち上げ、トルストイの「復活」の上演で全国を回った。14年、劇中歌「カチューシャの唄」が大流行。18年11月にスペイン風邪で抱月が急死し、須磨子は19年1月5日に自ら命を絶った。