夏侯惇との一騎討ちは、無かったことに?「最弱武将」にされた劉備の部下・曹豹の悲劇とは・・・
『三国志』に、曹豹(そうひょう/そうほう)という人物がいるのをご存じだろうか。彼の登場シーンはごくわずか。陶謙(とうけん)の重臣として登場する徐州・下邳(かひ)郡の相(長官)だが、そののち徐州を統治した劉備に加勢。しかし張飛とトラブルを起こし、呂布に手を貸そうとする。 正史に引用される史書(英雄記)では、このとき張飛に殺されたとも、あるいは呂布を招き入れて張飛を下邳から追い払ったとも伝わるが、やはりこのとき死んだのか、その後の消息は分からなくなる。 ■最大の見せ場、夏侯惇との一騎討ち だが、彼のわずかな記述は、後世の人々の興味をひいたらしい。小説『三国志演義』および『通俗三国志』で、曹豹は陶謙軍の勇将として登場。彼は「父の仇討ち」を名目に徐州へ攻め込んできた曹操軍を、真っ先に迎え撃つのだ。湖南文山(こなんぶんざん)による『通俗三国志』の記述を引用してみよう。 “曹操おおいに怒りていわく、「老賊わが父を殺してなおみだりに舌を動かす。誰か出て擒(とりこ)にせん」。夏侯惇(かこうとん)ききもあえず、馬を飛ばしてかかりければ、曹豹槍をひねりて火を散らし戦いけるに、にわかに大風吹き起こりて石を飛ばし沙(しゃ)を走らしめ、大木根より抜けて虛空にひるがえり、立つらねたる旗共ことごとく倒れしかば、両軍おどろき乱れて相引(あいびき)にぞ退きける” これこそ、曹豹一世一代の見せ場。曹操軍の将・夏侯惇と堂々、槍を交えているのだ。ところがいざ打ち合いも本格化したころ、にわかに大風が巻き起こり、両軍とも撤退して引き分けに終わる。ところで「演義」の夏侯惇は強い。呂布・関羽・趙雲などの猛者と堂々打ち合い、高順を敗走させた第一級の実力者である。よって彼と打ち合った曹豹は、(小説の中では)相当なツワモノとみられる。 それから3年後(196年)、曹豹は呂布の義父として登場。自分の娘を呂布の側室に送り込んで安泰をはかっているためで、なかなかの寝業師だ。しかし、劉備が張飛を下邳城の留守居役に置いていったのが運の尽きだ。曹豹は、張飛に飲酒を強要されるアルハラを受けて殴られ、命の危機を感じ、娘婿の呂布を城へ引き入れるのである。 酒に酔って寝ていた張飛、騒ぎに驚いて逃げ出そうとする。このとき、曹豹は無謀にも張飛を追撃するが、たった三合で返り討ち。夏侯惇と引き分けた見事な武技は見る影もなく、哀れな最期を遂げる・・・。 ■絶妙な能力値で、SLGゲームのファンを虜?に さて、この曹豹、どうしたわけか後世に「最弱武将」として、ある意味での脚光を浴びることとなった。それは、シミュレーションゲーム「三國志」シリーズ(コーエーテクモゲームス)初期においてである。 あくまでゲーム上の数値ではあるが、初代『三國志』(1985)では知力27・武力18・魅力15という悲惨なもの。さらに続編『三國志II』(1989)では知力19・武力13・魅力15。なんと全能力が10台(全武将で唯一)という離れ業を成し遂げた。 あの劉禅でも知力33・武力23・魅力74(『三國志II』)だったのだから、いかに酷い数値であるかがわかるだろう。あまりの低評価に、当時メーカーから刊行されていた「光栄ゲームパラダイス」や「ログイン」というパソコンゲーム誌上では、ネタキャラとして定着。逆にカルト的な人気を誇るにいたった。 ■彼が「最弱武将」になった根拠とは? 一体なぜ彼は、これほどまでの低評価をつけられたのか。それは、やはり小説・吉川英治版『三国志』の影響と思われる。吉川は「演義」のうち李卓吾(りたくご)批評版の邦訳『通俗三国志』を参照しながら、独自の三国志を執筆していた。 「通俗~」には、上記で引用したとおり、曹豹と夏侯惇の一騎討ち場面は確かにあったが、吉川はこれをカットしてしまった。曹豹の登場場面を1シーンに絞り、張飛と酒で諍いを起こす下邳城内だけにとどめたのだ。 きわめつけは、そのときに張飛が曹豹をなじる台詞。「汝(なんじ)は文官だろう。文官のくせに、大将たる俺に向って、猪口才(ちょこざい)なことを申すからこらしめたまでだ」というもの。この「文官のくせに」という台詞だが、原典には見当たらない。 正確にいうと、激昂する張飛は、止めに入った陳登(ちんとう)に対し「お前は文官の仕事だけやっておれ。俺に口を出すな!」と、原典では怒鳴っているのだ(三国志演義・第十四回、通俗三国志・巻之六)。 しかし吉川は、これを誤読したかアレンジして、上記のように曹豹を「文官」にしてしまったのだ。そのうえ、夏侯惇との一騎討ちシーンも描かなかったので「吉川三国志」では、「張飛になぶられる哀れな文官」というキャラクターとなってしまった。 さらに、それを漫画化したのが横山光輝氏である。横山光輝『三国志』では張飛の「ふん、文官のくせしやがって」、曹豹の「文官の私には(張飛は)とても歯むかえる相手ではない」という台詞まで追加された。こうして曹豹=弱い文官のイメージは定着した。 とくに、ゲーム『三國志II』は、吉川版を典拠として制作されていたため、曹豹にもそれが投影されたと考えられるのだ。(例:夏侯惇には「かこうじゅん」とルビがふられていた) しかし、『三國志III』『三國志IV』とシリーズも回を重ねるごとに、原典の見直しが図られ、曹豹の能力は補正されていく。とくに武力の上昇ぶりがめざましく、52,67,69となり、6作目の『三國志VI』では70の大台に乗った。 それが頭打ちとなった感はあるが、他の能力もだいぶマシになり「最弱」ではなくなっている。なんだか、そうなるとかえって寂しくなるというか・・・ファン心理とは不思議なものである。
上永哲矢