容保とコーヒー牛乳(9月2日)
残暑が続いて渇いた喉に、冷蔵庫から取り出したコーヒー牛乳を流し込む。口当たりは優しく、冷たさが火照った体に染み渡る。古くから親しまれてきたからか、懐かしい味でもある▼「元祖」とされる神奈川県平塚市の乳業メーカーのホームページには、1923(大正12)年に開発し、東海道本線の駅で発売したのが始まりとある。とは言え、その30年も前の1893年、意外にも既に味わっていた人物がいた。戊辰戦争時の会津藩主・松平容保[かたもり]だ▼病気療養中のある日、英照皇太后から牛乳が下賜された。においが苦手なことも伝わっていて、「何か香料を加えるように」との言葉が添えられていた。主治医がコーヒーを混ぜて届けると、感涙にむせびながら口にしたという。会津藩出身で東大総長を務めた山川健次郎が1926年の「会津会会報」に経緯を記した▼皇太后は、容保が京都守護職として忠誠を貫いた孝明天皇の妃[きさき]だった。厚く信頼していたからこそ見舞いを贈ったのに違いない。にもかかわらず容保は、天皇に逆らったとして朝敵の汚名を着たまま、この年の暮れ、57年の生涯を閉じる。かの飲み物に似て味わい深く、苦みもある逸話ではないか。<2024・9・2>