「占領期最大の謎」に迫ったNスぺ『下山事件』を見て痛感…すぐれた番組が放つ「見ている者をただ黙らせる力」
この番組が「真に迫る」ワケ
「下山国鉄総裁轢死事件」が起こったのは昭和24年(1949)のことである。 「下山国鉄総裁轢死事件」は、だいたい縮めて『下山事件』と呼ばれる。轢死事件と言い切るのも問題あるのだが、下山事件という呼称にも違和感がある。 【マンガ】男性の遺体の腹に「赤ん坊」を縫い込んだ…東大卒医師の残酷すぎる行い 昭和24年にはこの夏、この事件(7月6日死体発見)につづき、「三鷹事件」(7月15日)、「松川事件」(8月17日)と国鉄で立て続けに事件が起こる。 6週間のあいだに続けさまに起こったので「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」と3つ並べて呼ばれることになる。 それぞれきちんと呼ぶなら、下山総裁轢死事件(ないしは下山総裁死体断裂事件)、三鷹駅列車暴走事件、松川駅・金谷川駅間列車脱線転覆事件、であって、残り2つが地名なのに、「下山」だけは犠牲者名である。少し乱暴な感じがする。それがまあ、昭和20年代らしい荒っぽさだといえば、それまでなのであるが、この呼び名には当時の空気がとても強く反映されているように聞こえる。違和感は、その時代感覚の差異にあるのだろう。 令和6年は昭和99年にあたるのだが、その3月末、「NHKスペシャル 未解決事件File.10 下山事件」が放送された。事件後75年経っている。 このドキュメンタリーと実録ドラマが真に迫るのは、すべて実在の人物名で展開していくところにもある。 検事も記者も二重スパイも、役者が演じているが、すべて実在のリアルな人物名で演じている。右翼の大立者、児玉誉士夫も出ていた。 「下山総裁轢死事件」は、私の生まれるかなり前の事件である。 でもミステリー事件として、ときどきおもいだしたように話題になっていた。
不思議な申し出
とてもよく覚えているのは、私が小学校4年の夏、昭和42年(1967)のこと、学校から一泊で海に行く行事があり(京都市中の小学校から福井県の海水浴場に行っていた)、そのときに「下山総裁轢死(死体断裂)事件」のことが話題になったからだ。 事件後すでに18年経っていた。ちなみに当時の殺人事件の時効は15年なので、3年前にすでに時効が成立していた。 戦争の話や、戦後の苦労話を、みんなふつうに語っていたころの話だ。 海への一泊旅行前にいろいろと説明があった。 持って行ってはいけないものなどの注意があり、このころ漫画雑誌は持って行ってはいけないのが普通であった。(そもそも学校に漫画の載っているものを持ってきてはいけなかった) そのとき、クラスメイトの一人が「この本を持っていってはいけませんか」と一冊の本を持ち出したのである。 それが下山総裁事件の本だった。 小学4年生がそんな本を「臨海学校」へ持っていきたい、と言いだしたのである。時代の特殊性もあるが、ちょっと不思議な申し出であったことも確かである。そうでないと56年も覚えているわけがない。 いま調べると(こういう点ではつくづく便利な時代になったとおもう)カッパブックスから昭和38年(1963)に出ていた『下山総裁怪死事件“迷宮入り”を科学推理する』という本だったのではないかとおもわれる。著者は宮城音弥・宮城二三子。カッパブックスだから出版社は光文社である。当時このサイズの本(つまりは新書であるが)が流行っていた時代で、カッパブックスはよく見かけるシリーズであった。 この本ですと、実物を出して教師に見せていた。