誰だって心配事があるときには眠れないもの。スーパーマンではない自分を受け入れることで手に入れられるもの
「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き #1
誰しも不安で眠れない夜はあるだろう。だがいざその瞬間が訪れると簡単に片付けられる問題ではないし、夜はいつもよりもとても長く感じられるものだ。だが熟睡できる「はず」だと思っている自分は、自分のことを冷静に見つめられていない自分であるという。 【画像】人生には、不安で眠れない日もある
心理学者の加藤諦三氏の新著『「人生、こんなはずじゃなかった」の嘆き』より現実に適切に対処する思考法を一部抜粋してお届けする。
自分は特別でなければならないという苦しみ
犬を飼っている人は「犬に癒される」と言う。しかし誰でもその犬に癒されるわけではない。 同じ犬でも、その犬に癒される人と、癒されない人がいる。問題は犬ではなく、犬に癒される心を持っているかどうかである。 人は癒される心を持ったら幸せになれる。「この犬がいればいいや、友達はいらない」と思う。 そうなれば友達から仲間外れにされても良い。仲間外れにされることが怖くなくなる。 そこまでその犬が大切になるということである。そこまでその犬に癒されるようになるということである。 そしてそれが犬を愛するということである。 「この畑でやっていればいいや」と思えば、その畑で幸せになれる。そこで独自の幸せが築ける。そのような人間になる。 そこに心地よさがある。そういうのを「幸せ」と言う。癒されるためには、自分自身が癒されるような人間になっているかどうかということが問題である。 癒されるような人間になっているためには、満足していなければならない。財産を持っても幸せにはなれない。 花がいっぱいあっても幸せにはなれない。毎日のささやかな喜びの中に幸せはある。 戦うのではなく、来たものに対処をする。 「頭の中に旋律が渦巻いています……体はくたくたです。薬を飲んで、5時に起きました」 5時に起きたときに、「あー、7時まで眠れていたらどんなに体が楽だろう」と思うだろう。 そして5時で目が覚めたことを悔いる。そして悔いれば悔いるほど、自分の体の不調を嘆く。 自分の体の不調に注意し、それが自分の何と結びついているのかを考えない。つまりACE性格ではない。 ACE性格とは免疫力のある性格である。また嘆いている人は、目の前に素晴らしい景色があっても、その景色には意識がいかない。 「今日もこの景色を見られてよかった、幸せだなー」とは思えない。そしてその素晴らしい景色を前にして「あー、7時まで眠れていたら、もっと快調なのに、こんなに不快な気分にならなくても良いのに、なんで自分は眠れないのだ」と嘆き続ける。 このように嘆き続けるのは、すでに説明したように心の中に「隠された憎しみ」があるからである。 このような大袈裟な嘆きは、憎しみの間接的表現である。憎しみを直接表現できるコミュニケーション能力がないので、惨めさを誇示することで間接的に表現する。 だから嘆いているだけで彼には解決の意志はない。解決しようとしていれば、嘆き続けることはない。