「渋谷で無理やりスカウトさせて」伍代夏子コンパニオンの仕事から芸能生活40年続いた、外せない理由
事務所の人にも「顔見えないなら化粧しなくていいし、こんなのやる意味あるんですか?」と聞いたら、「これからのタレントさんは顔が見えなくてもジェスチャーで表情を表さないといけない」とかうまいこと言われて。でも、今から思うとそれでも芸能界の端っこにいるような気持ちになれたのかな。高校2年生になる頃には歌のレッスンも始めたので、オーディションを受けながらレコードデビューに繋がっていきました。 ── レコードデビュー後、今の伍代夏子さんのお名前になる前に3回名前が変わったそうですね。
伍代さん:1回目はデビューして4か月で事務所が夜逃げしたんです。でもちょっと柄の悪い会社だったので、夜逃げしてくれて正直ホッとしました。そこから2つ目の名前に。ここでは事務仕事やお茶汲みもしながらレコードを出しましたが、全然売れなかったので3回目の名前に。今度は本名で歌いましたが、そこでも売れなかったので4回目、今の伍代夏子の名前になりました。 ── 名前を変えるたびにどんなことを思いましたか?
伍代さん:名前のせいだけではないですけど、すべてしっくりきてなかったですね。楽曲の方向性やプロモーション、イメージの作り方。それでも今度は着物を着てみよう。名前も変えて、こんな感じにしてみようってみんなで相談しながら少しずつステップアップしていくんです。だから私にとって名前を変えるのは脱皮みたいな感じですね。 ── 伍代夏子さんのお名前で活躍されるまで、いろいろな場所で歌ったそうですね。 伍代さん:5人しかいない銭湯で歌うとか、スナックやキャバレーは当たり前。マスターが氷を作っている横で歌っていたら、部屋にある小さいステージで踊っている人がいて、顔を見たら70歳くらいの女性ストリッパーだったのは強烈でした。
お酒を飲む場所では私もガンガン飲まされるし、何処か売り飛ばされそうな気持ちになってしまって。だから酔い潰れちゃいけない、人に絶対弱みを見せちゃいけない、嫌われるように嫌われるようにしていて、鎧を着ていた時期もありましたね。