【甲子園100年物語(13)】「素敵に高いアルプススタンド」 「ヒマラヤ」ではスキー
8月1日に甲子園球場は開場100年を迎える。「甲子園100年物語」と題した連載で、“聖地”の歴史や名物の秘話などを紹介する。(井之川 昇平) 鳴尾から甲子園に舞台を移した夏と春の中等学校大会の人気はうなぎ登りだった。その当時でも大球場だったが、スタンドのいっそうの拡張が求められた。当初の外野ファウルゾーンと外野席は20段の木造スタンド。そのうちファウルゾーンのスタンドを改築することになった。1929年7月、内野席と同じ鉄筋コンクリート製、50段のスタンドが完成した。 その年の夏の甲子園で、この新スタンドも満員に。その様子を漫画家・岡本一平が描いたイラストが8月14日の大阪朝日新聞に掲載された。「入リ切ラヌ入場者ノタメ今年ハスタンドノ両翼ヲ増設シタ、両方デ八千人余計入ル」「ソノスタンドハマタ素敵ニ高ク見エル、アルプススタンドダ、上ノ方ニハ萬(まん)年雪ガアリサウ(ありそう)ダ」。これ以来、「アルプススタンド」と呼ばれるようになった。この岡本一平は、「芸術は爆発だ!」の名言で知られる芸術家・岡本太郎の父。アルプススタンドの命名も、父と一緒に観戦していた18歳の太郎が「アルプスのようだ」とつぶやいた、という説もあるが…。また、登山家の藤木九三が最初に「アルプス」と形容したとも言われるが、今でも甲子園の名物スタンドとして名高く、とくに高校野球の応援団席として甲子園に欠かせない。 アルプススタンドに続いて、36年11月、外野席も改造され、内野席と同じ高さに引き上げられた。「アルプス」になぞらえて「ヒマラヤスタンド」と命名。収容人数は1万人から3万人に増えた。 こちらの「ヒマラヤ」の名は定着せずに自然消滅したものの、本当に雪山代わりになった。38、39年に全日本選抜スキー・ジャンプ甲子園大会が開催された。スタンドに高さ30メートルの木造やぐらを設置。新潟県などから汽車で運んだ雪を敷き詰めた。五輪選手も出場した大会は東京の後楽園球場でも開催。雪の少ない都市部の市民にスキー競技をアピールし、観客も物珍しさで楽しんだ。
報知新聞社