【ジャニーズ性加害事件の顛末と酷似】三島由紀夫が遺した「あまりに暗示的な」舞台作品
「名演出家」がつないだ運命
三島由紀夫とジャニーズをつなぐ線――それはメリー喜多川の夫であり、三島の学習院の後輩である、藤島泰輔だった。 【写真】すごい…! 全身黒ずくめの東山紀之が路上で! 実は、もう一つの線が存在する。 蜷川幸雄だ。 日本を代表する演出家である。2016年、80歳にして死去。その3年後、ジャニー喜多川が亡くなっている。 生前の2人は盟友関係にあった。テレビにはまったく顔を出さなかったジャニー喜多川がたった一度、ラジオに出演している。NHKラジオの『蜷川幸雄のクロスオーバートーク』という番組だ。蜷川の死の前年、2015年の放送である。ジャニー喜多川の肉声が初めておおやけに流れて、大いに話題を呼んだ。 蜷川は17歳の木村拓哉を舞台デビューさせた。数多くのジャニーズのタレントを起用している。その成果の一つに、2011年の舞台があった。 <ミシマダブル>と題する企画である。 三島由紀夫の二つの作品を、同じキャストで同時に公演するという趣向だ。 小説家としてよりも、劇作家のほうが能力が高い。そう言われた三島の晩年の代表作――。 『サド侯爵夫人』と『わが友ヒットラー』だ。三島は両者を好一対の作品だと称している。 <いずれも三幕で、登場人物は、前者が女ばかり六人、後者は男ばかり四人、中心人物はサドとヒットラーという十八世紀と二十世紀をそれぞれ代表する怪物である> マルキ・ド・サドは、サドマゾ、サディズム等の語源となった性的変質者の候爵だ。ヒットラーはもちろんナチスドイツの独裁者である。 この両者を主人公とした劇を、蜷川は同時にステージに乗せた。 そうして、その主役に東山紀之と生田斗真を抜擢したのだ。 ◆配役に隠された「意図」 東山は当時44歳、ご存じ、少年隊のヒガシである。 生田は当時26歳で、ジャニーズとしては珍しくソロの俳優の仕事がメインの若手だった。 なんとも大胆な起用だ。これに大御所の平幹二朗らが加わる。 まず『わが友ヒットラー』を紹介しよう。 舞台は1934年6月、ベルリンの首相官邸。ヒットラーは45歳で首相に昇りつめた。その上にいる大統領ヒンデンブルグは高齢で病の床にある。ヒットラーの全権掌握はもう目前だ。そこで彼が引き起こしたのが「長いナイフの夜事件」だった。ナチスの内部にいる邪魔者たちを一夜にして虐殺したのだ。右側に突撃隊長エルンスト・レーム、左側に社会主義者グレゴール・シュトラッサー。両者との対話の果てに、左右両翼を切り捨てる。 ラストのヒットラーのセリフ。 <政治は中道を行かなければなりません> なんとも皮肉な言葉である。右翼も左翼も切り捨てて、中道を行くことこそ国家を一体化させ独裁体制へと至る道なのだ、と。 ヒットラーを生田斗真、レームを東山紀之が演じた。これは意外である。大先輩の東山のほうが主役のヒットラーではないのか? 実は三島はヒットラーが嫌いで、レームのほうに思い入れていた。ヒットラーに「わが友」と呼びかける劇のその題名は、実はレームのほうこそが主体であることを表している。 レームはヒットラーと若き軍隊時代からの親友だった。ヒットラーに心酔して信じきっている。その上で親友に殺されるのだ。 あっ、と思った。 ◆ジャニー喜多川に重なる人物 東山は生前のジャニー喜多川の罪を背負って、旧ジャニーズ事務所の社長となり、芸能活動を引退している。 そうだったのか! 今回、『わが友ヒットラー』を読み返して、ゾッとしたのだ。 怪物ヒットラーを愛して、信じて、命を失ったレームと、怪物的性加害者・ジャニー喜多川を信じて、愛して、芸能生命を失った東山紀之――2人の姿がぴたりと重なった! あまりの符号に、思わず唸ってしまう。 いや、それだけでない。 『サド侯爵夫人』を見てみよう。 サド候爵の夫人と、その妹、その母など、女性のみ6人が出演する舞台である。サドその人は最後まで出てこない。そこにはいないサドについて女たちがしゃべりまくる。 主役のルネを東山紀之、その妹・アンヌを生田斗真が演じた。『わが友ヒットラー』でナチスの制服を着た2人が、今度は女装する。しかも金髪のかつらに貴婦人のドレス姿で。猛烈なインパクトだ。 サド候爵は変質者である。娼婦を騙して媚薬入りボンボンを食べさせ、裸にしてムチを打つ。度重なる虐待行為で当局に追われ、遂には投獄されていた。 貞淑な妻・ルネは、それでも夫を信じてジッと待ち続ける。ルネの母は、あの男は怪物だと娘に離婚を勧める。だが、ルネは従わない。 やがてサドが少年少女ら数名を丸裸にしてムチ打ち、性虐待の限りをつくす、その宴にルネも参加していた、と母は告発する。 そのくだりを読んで、私は冷汗が出た。 ああ、そうだったのか。 件の劇とキャストに隠された密かなメッセージに気がついたのである。 そうだ。この変質者サドとは……ジャニー喜多川のことではないか! 今となっては、そうとしか思えない。 ◆三島が切り取った「本質」 年少者に性虐待を加えるサドがジャニー喜多川なら、彼を信じて最後まで慕うルネは東山紀之に見える。 たのきんトリオやシブがき隊といった先輩グループのメンバーたちも、少年隊の仲間の2人も、すべて事務所から去っていった。後継者に指名された滝沢秀明さえ、既にその姿はない。 そうして彼だけが残った。ジャニーズというサド侯爵の城には、東山紀之という貞淑な妻ただ一人が立ちつくしているのだ。 生前のジャニー喜多川は、この芝居を見ているはずだ。はたして隠されたそのメッセージに気づいただろうか? こんな悪魔的な仕掛けをほどこした、蜷川幸雄という演出家は本当に恐ろしい。(この不吉な未来を暗示する劇の公演中に、なんと東日本大震災が勃発していたのだ)。 この劇のラストは、さらに暗示的である。 長い年月をジッと待ち続けた妻、そこへ家政婦の知らせが入る。やっと牢獄から出たサド候爵が戸口の外へ来ているというのだ。 しかし……。 ルネ <お帰ししておくれ。そうして、こう申し上げて。「候爵夫人はもう決してお目にかかることはありますまい」と> これが幕切れのセリフである。すると、こんな言葉が重なるのだ。 <人類史上、もっとも愚かな事件……やっていることは“鬼畜の所業”だと思っています。今はもう愛情はほとんどありません……少なくとも僕は、本当に愛情というものは、もうまったくなくなりました>(2023年9月7日、東山紀之・新社長就任記者会見) サド侯爵夫人・ルネは、世俗の暮らしを断って、修道院に入ることを決意する。 同じく東山紀之は、芸能生命を断って、贖罪の仕事に残りの人生を捧げることを誓う。 こんな予言的な劇を書いた、100年前に生まれた作家に、私は訊いてみたいと思うのだ。 「三島由紀夫さん、ジャニー喜多川とはいったい何者だったのでしょうか?」、と。 取材・文:中森明夫
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