医療的ケア児の学校付き添い「気配を消していて」と言われた母…「見て見ぬふりはズルいよな」
医療的ケアが必要な次男の学校へ付き添いをしながら、写真を撮り始めた山本美里さん。「私はここでの自分を『透明人間』と呼ぶことにしました」。刊行した写真集のなかでそうつづり、自身の体験をユーモアをまじえて表現しています。(withnews編集部・河原夏季) 【画像】「透明人間」だった医療的ケア児の母 学校での様子
学校での「付き添い」を写す
学校の「処置コーナー」で泣き崩れる女性。保健室の教員が手をさしのべ、なぐさめます。 「撮っている時は楽しかったけれど、現像した写真を見たら急に涙が出てきて。『当時の私は、話を聞いてもらいたかったんだろうなぁ』と気づきました。それが偶然撮れた、思い出深い作品です」 そう話すのは、この写真で泣き崩れていた女性、写真家の山本美里さん(44)です。 学校での「付き添い」を面白おかしく伝えるセルフポートレートを撮影し、写真集『透明人間 Invisible Mom』(タバブックス)を出版しました。
息子と通学、校内で待機
9年前から、医療的ケアが必要な次男・瑞樹さんの特別支援学校への「付き添い」が始まりました。 朝、自家用車の助手席に瑞樹さんを乗せて出発。ときおり路肩に車を止めてたんを吸引します。 瑞樹さんが学校にいる間は、「万が一」に備えて待機する生活です。教室内や隣の部屋、学校の敷地内で、下校時間を待ちます。 付き添いを始めた年、友人から「何か変だよ」と指摘され、まぶたが痙攣(けいれん)していることに気づきました。感情の起伏も激しく、急に涙が出てくることもありました。 病院で医師に「あなた、死にたいと思ったことある?」と聞かれ、口をついて出たのは「死にたいと思ったことはないけど、朝起きて『全部夢だったらいいな』と思うことはあります」という言葉。「適応障害」と診断されました。
付き添う親は「透明」
一時的に「付き添い」をやめましたが、それは次男の学校での学習機会がなくなることを意味しました。家のベッドで横になっている次男。「これでいいのだろうか」。再び「付き添い」を始めました。 友人からの「今一番何をしたい?」という言葉をきっかけに自身を見つめ直し、京都芸術大学の通信教育部に入学して写真を学び始めることにしました。 写真を通して医療的ケア児(医ケア児)を知ってもらいたいと考えていましたが、大学の指導教員からは「あなたがいまいる『不満な状況』を撮った方が面白い作品になるし、人に伝わる」とアドバイスされました。 学校に撮影の許可を得て、自身が被写体になる「セルフポートレート」を撮ることに。自分をテーマにしたら、「透明人間」がテーマになりました。 入学したての頃、学校側からはこう言われました。「学校は教育現場であり、子どもたちの自立の場です。必要なとき以外、お母さんは気配を消していてください」 修学旅行についていっても「記念写真にも一緒に写ってはいけない」とされました。 山本さんは写真集で、「校内待機することを『黒子に徹する』とかカッコよく言う人もいるけれど、私はここでの自分を『透明人間』と呼ぶことにしました」とつづっています。