自由と競争の水産経済人「高く買って、安く売る」が投資の極意 中部幾次郎(上)
中部幾次郎(なかべ・いくじろう)は、現在のマルハニチロの前身である大洋漁業の創始者です。束縛を拒み、企業の自由な競争を唱えたという中部の強烈な個性や経営方針で、海産経済人としての頂点を極めていきます。 それにしても不思議なのは「人より高く買って、安く売る」という言葉。金儲けの秘訣というべき、父親・中部兼松から受け継いだ言葉ですが、中部はこの言葉を商売にどのように活用していったのでしょうか? 市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。
企業の主体性を強調し、束縛を最も嫌悪した自由主義経済人
大洋漁業(マルハニチロ)の創業者、中部幾次郎の強烈な個性と独特な経営振りに惚れ込んだ高碕達之助はこう称えている。 「中部さんは徹底した自由主義経済人で、企業の主体性を強調し、束縛を最も嫌悪した。自由と競争を阻むような制度なり組織は、どんな美名のもとでも、産業意欲を低下させる以外のなにものでもない、というのが持論であった」 第2次大戦中、政府が各分野で産業統合を図り、水産界でも幾次郎率いる林兼商店と日魯漁業、日本水産の3大水産会社をひとまとめにしようとしたとき、幾次郎は真っ向から反対する。そんなことをすれば、増産どころか、かえって減産になるというのが反対理由であった。幾次郎は当時こう語った。 「役人は赤子の1つ覚えみたいに“統制、統制”というが、まるで“倒せ、倒せ”といっているようなものだ」
土佐の寒ブリの取引で同業者に一泡吹かせる
自由主義経済人・中部幾次郎を象徴するエピソードがある。高知へ寒ブリの買付けに行ったときのことだ。買付け業者の間で、競争を避け、できるだけ安値で買付けようと、1つの案を思いついた。 「持ち船の積載量に応じてブリを山分けしよう」というもので、一種の談合である。これでいくと、幾次郎の船は大型だったので分け前も多いはずだった。だが、妥協せず、激しいセリの結果、幾次郎が最後までねばって高値で一人占めした。 大阪雑喉場(ざこば)でこれをセリにかける予定だったが、相場が暴落、仲間の連中は「それみろ、おれたちのいうことを聞かないバチだ。林兼は破産するだろう」と、幾次郎の買付け失敗を肴にして祝宴を張ったという。 このとき、幾次郎は大阪市場の安値を嫌って明石に仕向けることにした。明石の問屋は「大阪と同様、昨日今日は大変安い」という。幾次郎は電話に向かって怒鳴りつけた。 「今日のことじゃない。明日はどうか。明日の相場が分からずに何の商売ができるか」 土佐の寒ブリを一手に握った中部は翌日の市場で独自の値段を唱え、売り切って同業者を口惜しがらせた。幾次郎は土佐ブリの人気と実力を見抜いていたのだ。