『モンキーマン』は猿山を駆け上るような復讐劇!──ヒーロー映画の在り方について考えた
『スラムドッグ$ミリオネア』、『LION/ライオン ~25年目のただいま~』で知られるデヴ・パテルの監督デビュー作である『モンキーマン』。パテルは本作で主演も務め、プロデューサーには、ジョーダン・ピールを迎えた。架空のインドの都市を舞台に、香港アクションや韓国ノワールの要素を取り入れ、ハリウッドで製作された、ハイブリッド復讐アクション大作から透けて見える現代のスーパーヒーロー映画について解説する。 【写真を見る】ジョーダン・ピールが絶賛した『モンキーマン』のシーンをチェックする
プロデューサーはジョーダン・ピール!
幼い頃に母を殺され、人生の全てを奪われたキッドは、夜な夜な開催されるファイトクラブで猿のマスクを被り、”モンキーマン”と名乗り“殴られ屋”として生計を立てていた。ある時、自分から全てを奪った悪党のアジトに潜入する方法を見つけ、復讐を開始するのだが……。『ジョン・ウィック』シリーズを手掛ける製作陣に、『ゲット・アウト』、『NOPE/ノープ』などのジョーダン・ピールがプロデューサーとして名を連ね、監督兼主演は、『スラムドッグ$ミリオネア』、『ホテルムンバイ』などデヴ・パテル。構想に8年という歳月をかけ、本作で監督デビューとなったデヴ・パテル渾身の一作。 ■ヒーロー映画はファンだけのものになってしまったのか ヒーロー映画がファンだけのものでなく皆が楽しめる映画だった頃を覚えているだろうか? かつて、特殊能力をもつスーパーヒーローたちはコミックスのなかで活躍し、西部劇をはじめとするヒーローたちは映画で活躍するといったように、明確な棲み分けがされていた。しかし、いつしか、その境界は曖昧になっていき、いまやDCもマーベルも関係なく、アメリカン・コミックスのスーパーヒーローたちはスクリーンで活躍している。 大規模な予算で制作されたリチャード・ドナー監督の『スーパーマン』(1978)の商業的成功から、ティム・バートン監督の『バットマン』(1989)へ。さらに『ブレイド』(1998)、『Xメン』(2000)、『スパイダーマン』(2002)など、ゼロ年代初期マーベル映画を経て、2008年の『アイアンマン』からマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)がスタートする。 2024年8月現在、世界歴代映画興行収入ランキングのトップ10にMCUの映画は3本ランクインしており、今年の『インサイド・ヘッド2』が『アベンジャーズ』(2012年)の記録を抜くまでは、4本ランクインしてたことになる。『デッドプール&ウルヴァリン』も(世界的には)大ヒット公開中だが、その内容は映画というよりもイベントに近いものだった。かつて、スーパーヒーロー映画は現代の西部劇として、映画史の文脈で語ることができたが、いつしか、撮影や編集といった映画としての側面は減退していき、ファンが熱狂するコミュニケーションの場を提供する作劇を先鋭化させていった。 70年代からゼロ年代にかけて、映画史の文脈の中に位置づけられたアメリカン・コミックスの映画たちは、今や、MCUやヒーロー映画、アメリカン・コミックスといったファンダム・カルチャーの文脈のほうがが強くなり、映画の文法(撮影や編集)で語る意味がなくなりつつある。これはヒーロー映画に限った問題ではないが、映画はファンのためのイベントになりつつあり、そこにポップカルチャーのダイナミズムはない。もちろん、楽しいイベントは最高だ。しかし、現在のMCUに代表されるヒーロー映画の文脈をまったく知らない人が、ただただヒーローをスクリーンで観たいとき、どうすればいいのか? さて、前置きが長くなったが、ここで紹介したいのが『モンキーマン』である。『モンキーマン』はヒーロー映画が今のようなファンのためのイベントではなく、映画だった頃のことを思い出させてくれる一本だ。 ■猿のお面を被ったヒーロー 「モンキーマン」と聞いてなにを思い浮かべるだろうか? ジャマイカの3人組音楽グループ、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの代表曲? ザ・スペシャルズか、エイミー・ワインハウスのカバーバージョン? もしくは、Dの名前を持つ全身がゴムのように伸びる海賊? 『モンキーマン』のプロデューサーのひとりのジョーダン・ピールの制作会社の名前は「モンキーパウ・プロダクションズ」。『NOPE/ノープ』(2022)に登場するチンパンジーのゴーディは恐ろしかった。インドに出没した未確認動物でそんな名前のヤツもいた気がする。だが、今後モンキーマンと聞いて、真っ先に思い浮かぶようになるのは本作の主人公キッドかもしれない。遺伝子操作されたスーパーモンキーに噛まれたわけでも、自警活動に多額の資金をつぎ込んでいる社長でもなく、ただ、猿のお面を被っているだけだが、彼はまぎれもなくモンキーマンなのだ。 ■架空都市ヤタナとモンキーマン 『モンキーマン』の物語の舞台はインドの架空都市ヤタナ。主人公のキッドは地下のファイト・クラブで殴られ屋として生計を立てている。「My city go dumb(この街は馬鹿げている)」とラップするJIDの「151 Rum」が流れる中、ストリートで盗まれた財布が様々な人たちの手に渡っていくシーンで、街の活気がカメラワークから伝わってくる。ここにはヤタナの街がある。ヒーロー映画において大事なのは、その街(ひいては国家)と、そこに暮らす人々とヒーローの関係性である。ニューヨークとスパイダーマン、ゴッサムシティとバットマン、街とヒーローはつねに不可分であるため、街を撮らなければヒーローは撮れない。ヤタナには? そう、モンキーマンがいる。 ■猿山の頂上を目指すアクション映画 街と同様に、ヒーローの特殊能力やアクション(運動)も、そのキャラクターを形作るものとして重要だ。高層ビルが建ち並ぶニューヨークで、クモの糸を伸ばし、上昇と落下を繰り返すスパイダーマンの運動は、ティーンエイジャーの不安定な移動そのものであり、ヴィランに転落する可能性を寸前で回避しながら、ヒーロー活動をしていることがわかる。 モンキーマンは地下のファイト・クラブから、猿山の頂上を目指すように、ヤタナの街にそびえ立つ高級売春宿キングスクラブのタワーを、敵を倒しながら登っていく。本作の監督と主演を務めるデヴ・パテルは、タワーを登るそのシンプルな構造の中に、ゼロ年代の『ボーン・アイデンティティ』シリーズや、テン年代の『ジョン・ウィック』シリーズ、MCU映画の『ブラックパンサー』(2018年)など、様々なアクション映画の引用を詰め込んでいく。韓国ノワールやインドネシアの格闘映画『ザ・レイド』(2011年)など、アジア映画からの引用も忘れていないが、やはり、敵を倒しながら塔を登るという設定はブルース・リー主演の『死亡遊戯』(1978年)を彷彿とさせる。 ■弾圧に立ち向かう猿の拳 物語の中盤、『007 スカイフォール』(2012年)のジェームズ・ボンドのように、主人公であるキッドは撃たれて川の中へ落下してしまう。負傷したキッドは(少林寺で修行するように)廃墟になったシヴァ寺院に辿り着き、そこでトレーニングをする。アクション映画のリズムを規定する要素のひとつである打撃音を、インドの打楽器「タブラ」の演奏と重ねながら、キッドは拳を叩きつける。その拳に共鳴していくのは、インドのサードジェンダーであるヒジュラのコミュニティだ。キッドの拳はインドのカースト制度、女性やマイノリティへの差別や弾圧に立ち向かう力になっていく。そして、キッドはふたたびタワーへ登るのだ。 カースト制度の象徴としてそびえ立つタワーの頂上へ登っていくキッドの挑戦は、社会構造への反抗だけではなく、亡き母親への気持ちの表れでもある。キッドが殴られ屋をしていたのは、母親を救えなかったことに対する贖罪だ。冒頭、母親から猿の神ハヌマーンの物語を聞くシーンで、カメラは子供の目線のように動く。キッドはモンキーマンとなり、亡き母親のもとへ、一番高い木の上へ登っていくのだ。 ■グローバル・サウス時代のインド映画 2024年は『Mr. & mrs. スミス』のヒロ・ムライや『パスト ライブス/再会』のセリーヌ・ソン、『ツイスターズ』のリー・アイザック・チョン、『エクスパッツ ~異国でのリアルな日常~』のルル・ワン、そして、『SHOGUN 将軍』の真田広之など、ハリウッドの優れた映画やドラマシリーズの最前線にアジアのクリエイターが多くみられる時代だ。韓国の音楽シーンや日本のアニメシリーズの人気、世界経済ではグローバル・サウスが存在感を増している中で、インドを舞台にしたハリウッド製作のヒーロー映画『モンキーマン』は、非常に2024年的な映画と言えるかもしれない。きっと、今のMCUに必要なのは、モンキーマンみたいなヒーローなのではないだろうか。 『モンキーマン』 8月23日(金)全国ロードショー 配給:パルコ ユニバーサル映画 文・島崎ひろき、編集・遠藤加奈(GQ)