「5万回斬られた男」福本清三の生涯、香住の少年が大部屋俳優 野山を走り回り強靭な体力と感性を育む 3日ほどの稽古で現場に
【福本清三伝 無心―ある斬られ役の生涯】 「5万回斬られた男」の異名をとる時代劇俳優・福本清三をご存じだろうか。名前を聞いたことがなくても、鋭い眼光のコワモテの浪人姿を見れば見覚えがあるはずだ。たいてい悪役を演じて見事なチャンバラを披露し、最後は豪快に斬られる。斬られる時に大きくのけぞる「海老反り」が福本のトレードマークだ。 エンドロールに名前が出ることの少ない縁の下の力持ちだが、「どこかで誰かが見ていてくれる」と努力を重ね、やがて卓越した技術が注目され、なんとハリウッド映画「ラストサムライ」に抜擢。ついには主演作「太秦ライムライト」も製作された。 没後3年を経ても、いまだ私たちの眼に焼き付いて離れない、日本一の斬られ役の姿を後世に伝えるために、伝記写真集『福本清三 無心――ある斬られ役の生涯』を出版した。本人や関係者の未公開インタビューと初公開の300点の写真を収めた決定版だ。今回はそこに収めた貴重な写真の一部を紹介しながら、福本の生涯を振り返る。 福本は1943(昭和18)年、兵庫県香住町(現香美町)で生まれた。近世日本画の大家・円山応挙が多くの襖絵を残した大乗寺の境内が遊び場だった。山でウサギをとり、川で鮎を捕まえ、野山を走り回り強靭な体力と感性を育んだ。 15歳で京都に出てきて親戚の紹介で東映京都撮影所に演技者として就職した。いわゆる大部屋俳優だ。福本が映画界入りした58年は映画館の観客動員数が史上最高の11億3000万人を記録した映画の最盛期。それまで映画をほとんど観たこともなかった福本だが、3日ほどの稽古ですぐに現場に送り込まれた。 最初の撮影は「鞍馬天狗」(美空ひばり・東千代之介出演)だった。 「あれは12月の暮れやったかな。寒い寒い時でね。鞍馬の火祭のシーンで僕らは松明(たいまつ)持たされて行列になってね。夜中2時くらいまでやっててオープンセットの東映城の堀に氷が張ってましたわ」 仕事は、大名行列の後方で歩くなど、カメラから見えないエキストラばかり。合戦のシーンでは監督から「馬より早よ走れ!」と理不尽に怒られることもしばしば。それでも「少しでもカメラに写してもらいたい」と死体役の時に薄目を開けて先輩の技術を研究し、やがてチャンバラに参加させてもらえるようになっていった。 (演出家・脚本家)