楽天衝撃退団の田中将大 高卒2年目、山田久志氏の元で“急”磨いた過去思い出す/寺尾で候
<寺尾で候> 日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。 ◇ ◇ ◇ プロ野球界の“人事の秋”に、もっともセンセーショナルなニュースが飛び込んだ。田中将大が楽天を退団する。自身がユーチューブチャンネルで「楽天イーグルスと来季の契約を結ばずに新たな道を探すことに決めた」と述べた。 地元の反応が気になった。一夜明け、地元紙の河北新報が1面トップで報じたことが衝撃度を物語った。早朝の仙台駅で喫茶店に立ち寄ってファンの様子をうかがう。一般紙が社会面まで展開し、関連コメントを掲載するほどだった。 球団は野球協約の減額制限を大幅に超える年俸を提示したが折り合わなかったようだ。後日、本人は現場の取材に「期待されていないんだなと…」と打ち明けた。名実ともに球団の“看板”だった功労者のハートに、なにが去来したのか。 駒大苫小牧では甲子園で熱戦を演じ、ドラフト1巡目でプロ入りした楽天では球団初のパ・リーグ優勝、日本一に貢献する。その後はヤンキースの7年間で78勝を挙げて、21年に“ふるさと”の楽天に復帰していた。 球界を代表するピッチャーに育ったプロセスが脳裏に浮かんだ。世界一になった09年WBC投手コーチ・山田久志がメンバー人選のため、沖縄・久米島キャンプを視察したときのことだ。監督だった野村克也がいきなり投げ掛けた。 「両方(岩隈、田中)もってくのか?」 山田の中で岩隈の代表入りは当確だった。だが田中は9勝をマークしたプロ2年目を終えたばかりで、キャリアの浅さ、他の投手との兼ね合いもあったから微妙だった。ただ野村は続けざま山田にお願いするのだった。 「なぁ。お前に田中を預けたら、ものすごくいいピッチャーになって帰ってきそうやな。なんか1つだけでいいから、マー君のためになるものを身につけてやってくれんか。お前なりのものを…」 野村も、山田も超一流だが、考えが異なる点もあった。名捕手の野村は「困ったときは外角低めを狙え」が信条。名投手の山田は「困ったときこそ真ん中低めに投げろ」と勝負の瞬間のアウトコース狙いは置きにいくから危険だとの考えだった。 しかし、田中が日本球界を代表する逸材になるだろうという点においては、プロフェッショナルの考えは一致した。高卒3年目のシーズンを前に田中の投げっぷりをチェックした“ヤマダの考え”は正鵠(せいこく)を得ていた。 「ピッチャーというのはボールの緩急も大事だけど、フォーム、間合い、そして自分の考えにも“緩”と“急”が大事なんだ。マー君よ、スライダー、フォークは十分通用する。いわゆる“緩”はできているから、これからいかに“急”を磨くか。もっとストレートの精度を上げるんだ」 15勝を挙げたその年から5年連続、ポスティングで移籍したヤンキースでも6年連続で2ケタ勝利を達成。その間、楽天監督の星野仙一から「うちの坊ちゃん見ていけよ」とブルペンのネット裏から見た“急”を身につけた速球はえげつなかった。 しかし、古巣の楽天復帰後は4年間で通算20勝、今シーズンはプロ初の未勝利に終わった。 東北大学の近くにある学生向けのお好み焼き屋では「ネットにも上がってるけど、巨人で坂本とチームメートになるのでは?」「いやいや。つば九郎と一緒に競馬の予想で盛り上がる」など話題で持ちきりだった。 力はおとろえたとはいえ粘りの投球は真骨頂だ。かつて名将野村は「マー君 神の子 不思議な子」と表現した。通算200勝にはあと3勝に迫っている。神がかった復活劇はあるのだろうか。【寺尾博和】(敬称略)