高校野球取材歴20年超の記者が語る なぜ慶應高校野球部は”まかせる力”で「甲子園制覇」できたのか
昨夏、107年ぶりの甲子園制覇を達成した慶應高校野球部。「エンジョイベースボール」を掲げた同校の優勝は社会現象に発展し、同時に従来型の高校野球の概念を改めて問う意味合いもあった。そんな慶應高校に密着し、『慶應高校野球部ー「まかせる力」が人を育てる』(新潮社)を上梓したのが報知新聞社の編集委員である加藤弘士氏だ。『砂まみれの名将―野村克也の1140日―』の著者でもある加藤氏は、なぜ慶應高校野球部を描いたのか。高校野球取材歴20年超の記者の目に映った、快進撃の深部を聞いた(以下、「 」内はすべて加藤氏の発言)。 【画像】やはりスター…!華の早慶戦で特大ホームランを放った清原正吾…! ―慶應高校の取材を始める契機は何だったのでしょうか。 「’23年春の選抜大会出場が決まったことです。デスク生活を経て、9年ぶりの取材現場が慶應高校の取材でした。お目当ては清原和博さんの息子の清原勝児君だった。その際に主将の大村昊澄(そらと)くんが『高校野球の古い体質を変えて、常識を覆したい。そのためにも日本一になりたいと思っています』と話していたんです。ですが世間の反応を考慮して、言葉が強すぎる、と感じて記事にできなかった。心の奥底には『どうせダメだろう』と感じていた自分がいたんです。自分の中で勝手な理由をつけて書かなかった。その自問自答が、取材にのめり込む契機となりました」 ―20年の取材歴の中で、高校野球のイメージが固まりつつあった面もあるのでしょうか。 「20年くらい前までは試合中監督がずっと怒っている、ということが日常的な光景でした。『これって楽しいのか?』と思う反面、『高校野球ってこんなもんだろうな』とうっすら思い込んでいた面もありました。ただ、慶應高校はベクトルが違った。取材を始めてから、私自身の考え方も変化していったのです」 ◆「AIに取ってかわられてしまう」 ―従来型の高校野球との違いを醸成したのはどのような要因があったのでしょうか。 「’15年から慶應高校野球部の監督に就任した森林貴彦さんの考え方は大きいと思います。森林さんは、『従来の野球型の人材はAIに取ってかわられてしまう』という懸念を明かしてくれました。言われたことはやる、挨拶をしっかりする、でも新しいことは創造しない。もはやそんな時代ではない、と。競技人口が減り『野球界の大きな危機』について度々話されていた。そこに深く共鳴しましたね。では何が必要なのかというと、常に考えながら野球をすること。そのために必要なマネジメントが『まかせる』ことで人を育てるということだった。その点を突き詰め、何年も積み重ね、継承されてきた歴史が甲子園優勝という結果に繋がったと捉えています」 ―まかせる野球の真髄はどのような点に感じましたか。 「『エンジョイベースボール』のイメージとは異なり、慶應の練習ってキツイんです。何がキツイかというと、1つ1つのプレーに根拠を求めること。時折練習が止まるんですが、『なぜそのプレーを選択したのか』を選手は説明しないといけない。最適解を瞬時に判断するトレーニングって大変なんです。それを森林監督や赤松衡樹・野球部部長がやらせるのではなく、学生コーチが中心となり判断する。学生コーチは慶應義塾大学の生徒が指導に当たるという独自の制度ですが、権限が非常に大きくて。メジャー(レギュラー)、マイナー(控え組)の選定にも深く関わっています。あとは、無駄な声出しなどがないことも印象的でした。監督が学生コーチにまかせる、ということも慶應高校の特色の一つですね」 ―まかせる、と言葉にすると簡単ですが、実践するのは難しい理論ですね。 「野球界だけではなく、ビジネスの世界でも通じる理論かと。私も後輩記者たちに対して接する時に応用したのですが、まかせることでキラキラ目を輝かせて頑張る子もいる。活力ある組織づくりはこういう点がポイントなのか、と。ただし、塩梅は非常に難しくて試行錯誤しています(笑)。森林さんの『成長を見届ける』という姿勢は、イチ指導者のものではなく、目先の勝利よりも常に先を見据えていた。ただ発信力を持つためにも勝たないといけない。そういう意味では、閉塞感が漂う日本社会やスポーツ界に風穴を開けるような働きを成し遂げたんじゃないかな、とも感じました」 ―仙台育英との決勝戦では慶應高校の応援が甲子園に特別な空気感を作り出していました。 「これまでの取材の中で、あの日のような雰囲気は体験したことがないです。早稲田実業の斎藤佑樹選手の時の熱狂や、金足農業のフィーバー、佐賀北の『がばい旋風』とも少し違う。近いところでは今夏の大社高校でしょうか。応援団の人数もそうですが、1人1人の熱量が本当にすごくて……。一番驚いたのは、そんな空気感の中で選手が臆することなくプレーし、ベストパフォーマンスを披露していたことです。決勝戦で先頭打者ホームランを打った丸田湊斗君は、これまで公式戦でホームランゼロ。それを大舞台で実現する。あの一撃で甲子園を味方につけました」 ―慶應高校の独自な文化はどのような点にあるのでしょうか。 「’03年に推薦入試制度が導入されたことが分岐点となりました。ここから内部進学者、一般入試者、そこに推薦組が加わることになります。野球部でいうと内部進学が4割、一般が3割、推薦組が2~3割程度。推薦組は全国の強豪シニア、ボーイズなどから集まってくる。ただ、他校との違いは推薦組も入試で不合格になるケースがあること。最低限評定平均3.8以上の成績も必要となる。ここに野球部の意向は反映されないのです。推薦は学校全体で40程度の枠があり、運動部だけではなくさまざまな分野の生徒が入ってくる。そのため単純な戦力、という意味では年によりどうしてもバラつきが生じます。必ずしも推薦組がレギュラーを独占することもないという点も興味深かったです」 ―’24年の夏はベスト16、秋季大会はベスト8で敗退しました。激戦区神奈川で甲子園を目指す上の戦力でいうと“バラつき”はマイナスもありそうですね。 「一般入試組は首都圏の最難関私学をクリアしてきた意地がある。内部進学組は独特のカルチャーで育ってきた。推薦組は野球に対しての自負。この3つの異なるグループがケミストリーを生み出した年は強い。’23年がまさにそんな代でした。取材の中で前年のチームのほうが能力の高い選手が多く、力があったという声が多く聞かれました。ただ、より森林監督と密なコミュニケーションをとれていた、というのが’23年のチームでもあった。 実際にチームのキーマンは誰だったかを聞くと、清原勝児君と監督の息子さんである森林賢人君の名前が挙がったのです。勝児君は最後の夏はレギュラーではなかったし、賢人君はベンチ入りも叶わなかった。そんな2人の名前が挙がることは、1人1人がチームの中で役割を果たし、化学反応が起き、どんどんチームが強くなっていったかを表していると感じました。実際に、甲子園でも勝ち進むごとに強くなり、決勝の仙台育英戦が一番強かったですから」 ◆プリンスは「老後はジャズバーを開きたい」 ―KK世代を見てきた記者として、清原勝児君の取材は特別な感情もありましたか。 「小さい頃からKKコンビに憧れ、報知(新聞社)に入社後はジャイアンツ担当時代に桑田真澄さんの番記者もやっていたんです。おそらく正吾君、勝児君、真樹君、Matt君を全員取材した記者は私だけでしょう(笑)。幸せを感じます。私の感覚だけでいうなら、勝児君がお父さんと重なる部分が多かった。ムードメーカーであり、野球に対してのアプローチもそう。チームメイトも『勝児君がいたことでメディアからも注目を浴び、彼の野球に向き合う姿勢が力になった』と口を揃えていた。 正吾君はお母さんが持つ華やかさや社交性を色濃く受け継いでいる印象です。明るい性格でスター性は本当に強い。6年間のブランクを経て、東京六大学野球で4番を打っている時点で異次元ですよ。その挑戦を可能にしたのも慶應のカルチャー。自分の信じた道を行く、という心身のタフさやメンタルコントロールもすごい。ドラフトには漏れてしまいましたが、一人の記者としてもう少し野球をする姿を見てみたい、というのも正直なところです」 ―慶應高校野球部を取材する上でもっとも驚かされたのはどんな点ですか。 「21人の関係者に取材したんですが、共通しているのはとにかく彼らの話が面白いんですよ。端的にいうと言語化能力が非常に高い。そのためにビジネス雑誌を読み意見交換するなど、チームとしてもトレーニングをしているとのことでした。先ほどの勝児君の話ですが、普通は彼のような注目を集める選手がいると周りが浮足立つ面もある。それが、周りも考えて話す能力が高いから、彼を特別扱いすることが全くないんです。『慶應のプリンス』と取り沙汰された丸田君もそう。将来の夢を聞いたら、『老後はジャズバーを開きたいんです』と飄々と話していましたから(笑)」 ―最後に、今後の慶應高校野球部のどんな部分に注目していくのでしょうか。 「激戦区神奈川で毎年甲子園に行く、というのは難しいかもしれません。ですが、また面白い代が出てきて、すごいことを成し遂げてくれるんじゃないか、という期待感があります。取材の中で『前例を踏襲していきます』というようなリーダーは誰一人としていなかった。おそらく今後もそうでしょう。 私自身、20代の頃は『ウケる原稿』を狙って書いていました。勝利至上主義に近い感覚で。それが慶應高校の取材を経て、彼らの学ぶ姿勢やその過程に感化された面もある。今は選手たちに寄り添って、彼らの本心や本質に近づきたいと強く願っています。今後も体力が続く限りは現場で取材を続けていきたいと思いますね」 取材・文:栗岡史明
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