ソ連は調印を拒否 日本が主権回復した「サンフランシスコ平和条約」の裏側
次々個別に講和条約結んだが……旧ソ連・ロシアとは未締結のまま
この後、サンフランシスコ平和条約の内容が、日本に自由と名誉を与えたものではないと考え、会議に不参加だったインドのほか、中華民国と個別に講和条約を締結。1965(昭和40)年、大韓民国(サンフランシスコ講和会議ではまだ国と承認されていないことを理由に招待されなかった)と日韓基本条約を、中国共産党政権とは1972(同47)年の共同宣言で国交回復、1978(同53)年、日中友好平和条約を結びました。 そしてソ連とは、日ソ共同宣言(1956年)で国交は回復しましたが、平和条約締結に至らず、その後に誕生したロシアとも、まだ交わしていません。 また、サンフランシスコ平和条約の「千島列島」がどこを指すのか明記されていないことが、解釈をあいまいにし、日ロ間の北方領土問題を難しくしている要因と言われていますが、日本政府はソ連が条約に署名しなかったことから、この「条約上の利益を主張し得ない」としています。サンフランシスコ平和条約の裏側で起きた東西冷戦の潮流に巻き込まれた北方領土の問題は今も未解決のままです。