「沖縄戦の記憶風化させない」吉浜忍さんが次世代に託したバトン
沖縄テレビ
吉浜忍さんが沖縄戦の研究以上に力を注いだのが「若者の育成」でした。戦争の記憶のバトンを託すため吉浜さんが打ち続けた布石は大きな財産となっています。 ▽南風原文化センター元館長 大城和喜さん: 「彼は研究者であると同時に、それ以上に教育者なんですよね」 南風原文化センター元館長の大城和喜さん(75)は、吉浜忍さんとともに長年にわたって地元の戦災調査や戦争遺跡の保護・活用に携わってきました。 ▽大城和喜さん: 「これですね、沖縄戦調査。これから始めようと。これが第一号です」 南風原町の12の字ごとにまとめられた戦争とその被害の記録です。 ▽大城和喜さん: 「この地域に、この村に、沖縄戦(の史実)を継承するためには、この村の若い人がやるべきだと。調査を」 およそ40年前に行われた南風原の戦災調査で吉浜さんは積極的に若者の力を借りました。 地元の高校生や青年たちが地域の戦争体験者の自宅を一軒一軒訪ねて証言を記録していったのです。 ▽大城和喜さん: 「戦争体験者が少なくなる。彼がいつも言っていたのは、戦争体験者がいなくなったときに、何が戦争を語るかというと、やっぱり『もの』『現場』だと。南風原でいえば陸軍病院壕」 吉浜さんは沖縄戦の体験者がいなくなる将来を見据え、戦争遺跡を活かす取り組みを推し進めました。その先駆けとなったのが沖縄陸軍病院南風原壕。1990年に全国で初めて戦争遺跡として町の文化財に指定され、2007年には一般公開されるに至りました。 ▽吉浜忍さん(2015年取材): 「保存しただけでいいのかという問題がある。これを活用しないといけないということで、活用にはどういう仕方があるのかということを一生懸命みんなで知恵を出し合って考えて」 ▽大城和喜さん: 「これを残せば、この壕が現場が沖縄戦を語ってくれる。だから文化財指定が必要なんだということですよね」 沖縄戦からまもなく80年を迎えようとする中で、吉浜さんが打ち続けた布石が悲劇を風化させないための大きな財産となっています。
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