「試されている気分だった」島田珠代のギャグ“パンティーテックス”誕生秘話
◇『相席食堂』で関西以外の認知度が爆上がり 新喜劇の看板として活躍してきた島田珠代。そんな彼女もテレビの露出が増えていく。そこで生まれたのが、今では島田珠代の代名詞にもなっているギャグ「パンティーテックス」。このギャグが生まれたのは千鳥がMCを務める『相席食堂』(朝日放送)だ。 「あまり言ってない話なんですけど、 パンティーテックスが誕生したのは相席食堂のディレクターさんのおかげなんです。収録がスタートしても、そのディレクターさんは何も言わずムスッとしていて、“こうしてください”とか何も言わないんです。 私としたら“何か面白いことできるんですか?”と試されている気分だった。そうなったら、こっちも“なにくそ! やってやる!”って気持ちになって。そこから一発目に出てきたのが、パンティーテックスだったんです」 まさに笑いを求めるプロ同士の空気を感じる。 「この前、『マルコポロリ!』(関西テレビ)という番組に出たとき、本番前に打ち合わせしたんです。そのとき、スタッフさんに“はじめまして”と挨拶したら、“はじめましてじゃないんです”と、それが相席食堂のディレクターさんだったんです。 なんで気づかなかったかというと、当時と雰囲気が違いすぎて“こんなに笑う人だった?”ってくらいニコニコしていて。今ではあの空気にも感謝ですね。パンティーテックスのおかげで、関西以外でも声をかけられることが増えましたから」 島田珠代は、ひろしさんという男性と一緒に過ごしている。エッセイではパートナーと紹介されているが、おそらくその一言では語れない関係性があるように思える。 「ひろしさんとは、もう7年ぐらい一緒にいるんですけど、いわゆる夜の営みはなくて。ひろしさんはすごく潔癖症で、そういった行為が苦手なんです。試みようと思ったことはあるんですけど“珠代ちゃん、やっぱり無理や。あなたのことを愛しているけど、これだけが愛の形ではないから”って。もちろん、最初は“どうしてよ!”って喧嘩したりもしましたけど(笑)」 恋人でもなく友達でもない、特別な関係だと明かす。 「ひろしさんは私の魂をすごく磨いてくれました。“人の悪口を言うと人間の器が小さくなる”とか。ひろしさんと出会ってから、何かを考えるときは魂で考えるようになりました。男とか女とかではなく、島田珠代として考えることが大切なんだと。 『かまいたちの机上の空論城』(関西テレビ)で、“おばちゃんダンス”がバズった当時、じつは自分が“おばちゃんである”ということは受け入れにくかったんです。でも、魂で考えるようになって、鏡で自分を見たときに別物として考えられるようになりました。着ぐるみじゃないけど、髪の毛と肌は別物で、大切なのは魂やなって。魂が腐らなければいいんだ、と気づけたんです」 ◇新喜劇のメンバーと下北沢スズナリの舞台に立ちたい これまでの人生で一番大きなターニングポイントを聞くと、小学生の頃だと語る。 「幼稚園の頃、 家では喋ることはあったんですけど、いざ幼稚園に行くと本当に喋らない子でした。 そんな内気な性格だったんですけど、小学2年生のときに習字を先生が褒めてくれたんです。それから解放されたように、学校でもワーッとおもしろおかしいことができるようになって、目立つようになっていきました。それが私の原点だし、そのときのことはすごく覚えています。子どもを褒めることは大事だなって」 芸人になってからの島田珠代に大きな影響を与えたのは、「T&T」というユニットも組んでいた藤井隆。父が亡くなった際には、わざわざ駆けつけてくれたという。 「新喜劇での振る舞い方や上下関係で悩んだことがあったんですけど、そのときは藤井隆くんをマネるというか、学ばさせてもらいました。彼からはすごく影響を受けてます。藤井くんの振る舞いを見ていなかったら、私はダメになっていたかもしれないと思うくらい。本当に凛としていて、あんな人に私もなりたい! と思っていました」 最後に、今後やりたいことについて聞いてみた。 「新喜劇の好きなメンバー3人くらいと一緒に、ザ・スズナリで何かしてみたいですね」 ザ・スズナリとは、下北沢が“演劇の街”と呼ばれる起源となった歴史的な小劇場である。 「公演するなら2年待ちとかなんですけど、悲劇のヒロインというか、悲しみを背負った役とかを、スズナリでいつか演じてみたい。今までツラいことがいっぱいあり、いつでも涙が流せるので、それを有効活用したいですね!」 これまで彼女が見せてきたのは、観客を笑顔にするための姿だった。その裏では、涙をこらえ、苦しみを抱えながらも立ち続けてきた島田珠代。しかし今、彼女はその強さだけでなく、弱さや痛みさえもさらけ出し、新たな一歩を踏み出そうとしている。 (取材・撮影:TATSUYA ITO)
NewsCrunch編集部