『春になったら』「グラッツェ」に込められた愛 ビクトリーだった雅彦の仕事人生
“弱さ”を演じる木梨憲武
おどける場面もあった木梨憲武の演技は、回を追うごとに迫真性を増している。衰弱する雅彦を全身で表現しており、痛みがじかに伝わってくるようだ。木梨は“弱さ”を演じられる役者である。不意にバランスを崩した瞬間、思わずこっちが「あっ」と言ってしまうような観る人とつながった演技、そしてユーモア。二枚目の役にも情けなくてクスリと笑えるポイントを挟んでくるが、その時すでに木梨の空間に引き込まれている。細かすぎるくらい行き届いた一挙手一投足から、役へのリスペクトが垣間見えた。 イタリア語で「ありがとう」を表す「グラッツェ」。足を止める通行人に、リピートしてくれるお客さんに、話題にしてくれる人たちに向けて、雅彦は感謝を伝える。見てくれる人の存在が雅彦を支えていた。妻の佳乃(森カンナ)が亡くなった時も、幼い瞳を抱えて働き続けた。仏壇に置かれた佳乃の写真が二人を見守っていた。 その日の主役に参加者の視線は注がれる。けれども、本当のことを言えば、支えられているのは自分のほうなのだ。賢い龍之介はそれをわかっていて、同級生に良いところを譲った。雅彦だって、高校生の瞳が父親の仕事を恥ずかしいと思っているのは知っていた。それを寂しいと思うこともあったが、自分を見ていてくれる瞳の視線が、人ごみに立つ雅彦を奮い立たせてきた。「グラッツェ」は最愛の人に向けた言葉だった。 瞳の結婚式に、雅彦が用意するもう一つの式。なじみの店での最後の不摂生を、雅彦は一馬と二人で堪能した。瞳を呼ばなかったのは、いたら心配させてしまうからだ。向こう岸へ渡る式の主役は、見送る人々に何を贈るか考えている。春はもうすぐそこまで来ている。
石河コウヘイ