ドラフト指名漏れ“21歳の日本人”がドジャースと契約した11年前「ヤベェところに来ちゃった」マイナー解雇を経て…会社員&投手コーチの今
明治大の投手コーチ、西嶋一記のノートにはあの日の日付がしっかり記されていた。 「2013年3月18日です。マイナーのコーディネーターに呼ばれて『お前を起用する場所がない』って言われたんですよね。メディカルチェックを受けて、翌日に帰国しました」 【実際の写真】「21歳でドジャースとビックリ契約の様子」「ヤベェところに来た…実際の写真」現在は会社員&投手コーチに「西嶋さんの今」…「プロ野球を“経ずに”メジャーで活躍した2人」まで一気に見る
「隣を見てみろ、そいつらがライバルだ」
大谷翔平や山本由伸の活躍で注目されるメジャーリーグだが、誰もがそのサクセスストーリーを踏んだわけではない。多くの“夢破れた日本人選手たち”がいる。 西嶋もその1人だった。2011年にドジャース傘下のマイナーに入団したが、3年目のスプリングトレーニングの最中に解雇を通達された。 「アメリカに行った時はヤベェところに来ちゃったなと。コーディネーターに『隣を見てみろ、そいつらがライバルだ』って言われて。170人くらいはいたと思います。すごい奴らばかりでした」 そのメンバーには昨季、ワールドチャンピオンに輝いたレンジャーズの中心打者、コーリー・シーガーなどがいた。 「のちに日本でプレーした選手もいました。ヤクルトのマクガフ投手や阪神にいたガルシア投手、巨人のサンチェス投手も。マクガフ投手とは、彼が日本にいるときは連絡をとっていました」
横浜→明治大、ドラフト指名漏れを経て…
西嶋とアメリカとの縁は中学時代にあった。シニアの選抜チームで渡米し、現地でホームステイを経験。メジャーへの憧れを抱いた。高校は名門・横浜に進学。3年春に背番号「11」をつけてセンバツ制覇に貢献し、明治大へ進んだ。3年秋に最優秀防御率を獲得するなど活躍。1学年下の野村祐輔(広島)としのぎを削った。 その明大時代に、西嶋は2度目のアメリカを経験する。4年時に、同大学が野球部創部100周年記念事業としてアリゾナキャンプを実施。ドジャースタジアムで1日練習したのち、ドジャースのキャンプ地、アリゾナへ向かったのだった。 「黒田(博樹)さんがチームにいらっしゃって、エースのカーショウ投手が売り出し中の頃でした。ドジャースタジアムは感動しましたね、いつか、ここで投げたいなと」 日本のプロ野球を経ていつかはメジャーリーグへ。西嶋はそんな夢を抱いていた。だが、2010年、斎藤佑樹ら早大トリオ、中央大の剛球右腕・澤村拓一(ロッテ)、佛教大の左腕・大野雄大(中日)など豊作世代と言われたドラフト会議で、西嶋は指名から漏れる。その折にドジャースが接触したのだった。
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