人々の暮らし支え500年…過疎化で荒廃すすむ「棚田」を守りたい!高校生チームと思いを繋ぐ人たち
開拓から500年。西条市の山間に広がる千町(せんじょう)の棚田の保全に取り組む高校生チームがいます。チーム結成から3年。人の想いが繋ぐ千町の棚田2024年・春編です。 【動画】開拓から500年の棚田で奮闘!高校生チーム<NEWS CH.4> 国道11号から加茂川に沿って、山道をおよそ15分。見えてきたのは…石積みの田んぼです。ここは西条市旧加茂地区。石鎚山の麓に広がる千町の棚田です。 1585年に土佐の豪族・伊藤近江守祐晴によって開拓され、千町歩、1000ヘクタールもあるかと思わせる広大な農地から、その名が付いたといいます。 先人が標高差350メートルの斜面を切り拓き、石をひとひとつ積み上げ築き上げた棚田は実に2500枚以上。豊富な日の光と高低差が生み出す寒暖差。そして、石鎚から流れ出す清らかな水が育む美味しい米の産地として、その名を馳せていました。
米の産地として栄えるも…70年ほどで人口は3%に激減
スズ子さん: 「昔の人はきれいに積んである。崩れたりしたとこは修繕してね」 伊藤スズ子さん、92歳。生まれも育ちも千町地区。棚田の集落の生き字引です。 スズ子さん: 「昔は道路もなかったん。町から歩きよったんよ。病院でも行こうものなら1日がかり。朝出たら夕方しか帰れん。」 今では車で気軽に行き来できる千町地区。集落へと続く市道が完成した戦後までは、人の行き来もまばらな山深い村だったと、スズ子さんは言います。 開拓から500年。今も変わらず、暮らしの中心にある棚田。 いま、大きな波が押し寄せています。
スズ子さん: 「田んぼがキラキラ水がたまっていたのがなくなって、木植えたり色んなもの植えとるだろ。やけんその風景が変わっとるね。荒らしてしもうて草地ばっかりになっとんよ。昔の人だったら涙が出るだろうと思うけど」
過疎。そして高齢化の波です。1950年に96世帯、約500人を数えた千町地区の人口。その数は、ここ70年ほどでわずか3%、17人にまで激減。そのうち8割は65歳以上の高齢者です。 人生のほぼすべてを千町で過ごしたスズ子さんも、この春、生まれ故郷を離れることを決意しました。