「人生をかけたオーディションが中止になり、路頭に迷ってしまった」Dリーグ最年少ディレクターKENSEIインタビューVol.2
今季で4年目を迎えたDリーグ。開幕から熱戦続きのリーグにおいて、今年から最年少の21歳でディレクターに就任したdip BATTLESのKENSEIは、パフォーマンスでも、その経歴でもひときわ異彩を放っている。そんなKENSEIも高校を卒業した後、ダンサーとして生きていくことを決意したタイミングで、受けようと考えていたオーディションがコロナの影響で中止になってしまい、路頭に迷ってしまったという。今回は、高校を卒業後、オーディションが中止になってしまった後、dip BATTLESに加入するまでについての話を聞いた。
人生をかけたオーディションが中止。いきなり閉ざされたダンサーの道
ー一度ダンスの道から離れられて、もう一度高校生のときにダンスの道に戻ってきたというお話を前回うかがいましたが、今回はそこからdip BATTLESの一員になるまでについてお聞きかせください。 KENSEI:元々は大学に進学したいなと思っていて。なんなら小学校のときから、公務員になりたいなという思いがあったんですよね。(笑)定時に帰れて、安定していて、老後も年金とかがあって、安定していそうだなと。あとは親からもやっぱりそういうところを勧められたりしていたので。 ただ、同じダンススタジオに通っていた大学生が、その後社会人になって「もっとダンスやりたいんだけど、時間がなくてできないんだよね」みたいなことを言っていたりとかして。そういう姿をみて、自分自身は違う道に挑戦したくなったというか。周囲への反発っていう部分もあったとは思うんですけど、ダンスの道で生きていこうという風に考えるようになりました。 ーそうはいってもなかなかダンスでご飯を食べていくとなると、なかなか大変なのかなと思うのですが。 KENSEI:ちょうどその当時、LDHさんが過去最大級のオーディションを開催するということになって。高校の先生にも進路選択のときに、そのオーディションを受けて、ダンサーとして生きていくと伝えていました。 ただ、ちょうどコロナ禍になってしまい、オーディション自体が中止になってしまって。その後は地元で少しバイトをしながら暮らしていたんですが、コロナが少し落ち着いたタイミングで上京することにしました。 ー東京ではインストラクターだったりの伝手などはあったりしたんですか? KENSEI:いや、まったくあてはなくて。(笑)東京に友達が一人だけいたので、そこに居候させてもらって、バイトしたりしてましたね。しかも最初は東京があつすぎて、一ヶ月間外に出られなかったんですよね(笑)。 ーそこからDリーグに出会われたわけですね。 KENSEI:最初は正直Dリーグがどういうものかあんまりわかっていなくて。ただdip BATTLESでデビューする前に、一度他のチームにSPダンサーとして出させてもらう機会があったんです。 そこで楽しかったっていうのもありましたし、そのときに「もっとできることがあるな、もっといい作品を作れるな」と自分自身思ったんですよね。チーム外の立場だからこそ、見える部分もあって。作品作りの部分でも、もっと良い作品ができるだろうと思って、「全部変えよう」とか伝えたりして(笑)。メンバーとああでもないこうでもないと議論して、作品を作り上げることができました。そのラウンドでは二位だったんですけど、そこで手応えを感じる部分はありました。 ※2020-21シーズンの採点ルールは現在とは異なっており、ラウンド毎に順位が出る形式