映画「ホールドオーバーズ」 クリスマスに取り残された教師と生徒の意外な交流
それぞれの事情で校内に取り残される3人
残るのは、再婚したばかりの母親から「新婚旅行に行くので一緒に過ごせない」と連絡があった学生アンガス(ドミニク・セッサ)。寄宿舎は暖房が切られているため、食堂で当直の教師であるポール(ポール・ジアマッティ)とマンツーマンで過ごす羽目になる。 一方、古代史の教師であるポールは、融通の効かない性格のためか生徒たちからは煙たがられており、同僚の教師たちからも少し距離を置かれていた。本来なら、他の教師が休暇中の当直になるはずだったが、馬鹿正直な性格も災いしてクリスマスも校内で過ごすことになる。 もう1人、校内にはベトナム戦争で一人息子を喪ったばかりの食堂を預かるメアリー(ダヴァイン・ジョイ・ランドルフ)も残っており、生徒も教師も職員も去ったがらんとした食堂で3人だけの食事が始まるのだった。 20年前の「サイドウェイ」でも顕著だったことだが、監督のアレクサンダー・ペインは、この3人の登場人物の心の襞にまで入り込み、さりげない描写を重ねながら丁寧にドラマを構築していく。 けっして派手な展開があるわけではないのだが、風景や小道具などを巧みに物語のなかに折り込みながら、ときにコミカルな笑いも交えて、人物の心の機微を巧みに描いていく。そのクオリティの高さはあいかわらずだ。 しかもそれに応えるかのように、教師役のポール・ジアマッティも、料理主任のダヴァイン・ジョイ・ランドルフも、そして生徒役の新人ドミニク・セッサも、それぞれの複雑な胸の内を素晴らしい演技で表現している。 ちなみにジアマッティもランドルフも、アカデミー賞ではそれぞれ主演男優賞と助演女優賞にノミネートされ、ランドルフは受賞も果たしている。彼女が劇中で見せる自然体の演技は、まさに主演級と言ってもいいくらい、この作品に素晴らしい魅力を与えている。
20年ぶりのタッグ、作品に込める思いは?
■「私は人間的な物語を撮りたい」 「サイドウェイ」以来、20年ぶりにポール・ジアマッティとタッグを組んだアレクサンダー・ペイン監督だが、そのことについて彼は次のように語っている。 「私は人間的な物語を撮りたいといつも思っています。映画的な人生よりも、実生活に近い主人公とストーリーが好きなのです。ポール・ジアマッティとの協働は幸せな時間でした。彼は最高の俳優で、とても尊敬しています。彼はどのテイクもまさにリアルで、新鮮です」 脚本はデビッド・ヘミングソンの手によるものだが、その執筆段階からペイン監督は、主役の堅物の教師役にはジアマッティを想定していたという。 ポール・ジアマッティは、最近では人気ドラマシリーズ「ビリオンズ」(2016~2023年)でのタフな連邦検察官役が印象に残る俳優だが、「ホールドオーバーズ」ではまったく異なる役柄を演じている。ペイン監督に言わせれば、本作のほうがジアマッティの本来の姿なのかもしれない。 20年ぶりにペイン監督作品に出演し訳ありの背景を抱える堅物の教師役を演じたジアマッティは、監督について次のように語っている。 「『サイドウェイ』のときよりも、肉体、演技、感情について、ディテールを見る目が鋭くなり、遊び心も増していました。あらゆる面に精通していて、すべてに深い注意を払っている。どんな俳優に対しても対応方法を知っていて、エキストラを含めて出演者全員の名前を覚えています」 ちなみにジアマッティ自身も、かつては劇中のような学校に通っており、教師役についてもかなりの理解ができ、親近感も覚えていたという。それだけに、接点のなかった3人が、やがて休暇中の学校内で心を開いていくという過程にもリアリティを覚えたにちがいない。 またこの作品は音楽も素晴らしい。時代設定は1970年なのだが、物語のテーマ曲とも言える楽曲には、比較的新しいダミアン・ジュラーの「Silver Joy」(2014年)を採用、哀愁を帯びたアコースティックな響きは、まさに「holdoveres」な雰囲気を醸し出している。 もちろん、クリスマスソングやクラッシックなどの挿入曲に交じり、ショッキング・ブルーの「ビーナス」やバッドフィンガー「嵐の恋」、トニー・オーランド&ドーンの「ノックは3回」などの当時のヒットソングもノスタルジックに使用されている。 最後に、物語の味わいをさらに深いものにする必殺の小道具をそっと教えよう。さりげなく登場するブランデーのナポレオンとスノードームには、注意しておきたい。筆者はこういう小技の効いた作品にとても惹かれるのだ。
稲垣 伸寿