20年来の意中の名将ヴェンゲル監督がアーセナル退団。日本はどう動く?!
プレミアリーグの名門アーセナルは20日、クラブ史上で最長となる、約22年間にわたって指揮を執ってきたアーセン・ヴェンゲル監督(68)が、今シーズン限りで退任すると公式サイトで発表した。 1995年に名古屋グランパスの指揮を執り、かつて日本が代表監督としてラブコールを送り続けてきた名将である。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督を電撃解任。西野朗・前技術委員長が新監督に就任したが、あくまでもロシアW杯を乗り切る暫定監督である。同時進行で、ロシアW杯後の日本代表監督の選定作業を行わねばならない上で、魅力的な名将がフリーになったのだ。 フランス人のヴェンゲル監督は、1996-97シーズンが開幕した直後の9月末に就任。当初は無名ゆえにその手腕に疑問符をつけられたが、初めてフルシーズンを指揮した1997-98シーズンに達成した、プレミアリーグとFAカップの二冠獲得で懐疑の視線を賛辞に変えた。 2001-02シーズンでも二冠を獲得すると、2003-04シーズンには26勝12分けと無敗でプレミアリーグを制覇する、サッカー史上に残る快挙も達成。長期政権への足場を揺るぎないものにしたが、リーグ戦の優勝はこのシーズンが最後になっている。 昨シーズンもFAカップこそ制覇したものの、リーグ戦では5位に終わり、19シーズン連続で獲得してきたUEFAチャンピオンズリーグへの出場権を逃した。今シーズンも残り5試合で暫定6位と苦戦を強いられ、退任を望むファンやサポーターの声も少なくないなかで、契約満了とともにアーセナルを去ることが決まった。 プレミアリーグで一時代を築いたヴェンゲル監督は、幾度となく日本代表監督の候補にも挙がってきたことでも知られる。実際、日本サッカー協会(JFA)から正式なオファーも受けている。1998年のW杯フランス大会を、3戦全敗で終えた直後だった。 グループリーグ敗退を受けて、日本代表を初めてW杯の舞台に導いた岡田武史監督が退任。後任探しに着手していたJFAの技術委員会は、アーセナルを率いる前に名古屋グランパスを指揮していたヴェンゲル氏に候補を一本化した。 ヴェンゲル氏は1994年末に名古屋の監督に就任。それまでの2シーズンは下位に低迷し、リーグの「お荷物」とまで揶揄されたチームを、1995年シーズンのサントリーシリーズで4位、NICOSシリーズでは2位と優勝争いを演じる強豪に変貌させ、その年の天皇杯も勝ち取っている。 短期間で刻まれた軌跡があまりにも衝撃だったからこそ、韓国との共催となる2002年W杯に臨む日本代表監督を託したいという決断に至った。当時の岡野俊一郎会長(故人)は、大仁邦彌技術委員長(JFA前会長)の要請を受けて、英語で直筆の手紙をしたためたと明かしてくれたことがある。 「簡潔に言えば『日本代表チームを指揮するのは、あなたしかいない』と綴りました。後になってどこかの飛行場でたまたまヴェンゲルと会ったときに、『自分はアーセナルとの契約をまっとうしたい』と謝られたんだけどね」 語学に堪能だった岡野氏が生前にこう振り返ったように、JFAからのオファーに対して、ヴェンゲル氏は首を横に振っている。アーセナルで初めて二冠を獲得し、さらなる上を目指そうとしていたタイミングだったから、断るのも無理はなかっただろう。 もっとも、ヴェンゲル氏はフランスサッカー協会が用意したリストのなかから、面識のあったフィリップ・トルシエ氏をJFAに推薦するように進言。技術委員会はヴェンゲル氏と連絡を取り、手腕や人物像を確認しながらトルシエ新監督を迎えることを決めた。