「インディーやるなら一番大事なのは貯金額」「お金を貯めること=自由にゲームを作れる時間を買うこと」──『くまのレストラン』『メグとばけもの』のDaigoが語る“心が折れないゲーム作り”とは
「ゲーム市場のフロンティアだ」と言われたインディーゲームも今は昔。 Steamでの年間発表タイトル数は1万を超え、また過去の名作がどんどんとセールで安く売られるという、苛烈なレッドオーシャン状態にあるインディーゲームというジャンルの中で、いったいどうやって戦っていけばいいのだろうか? 『メグとばけもの』画像・動画ギャラリー 「インディーゲームをやるなら、一番大事なのは貯金額だと思うんです」 ──そう語るのは、高評価2DドットRPG作品『くまのレストラン』『メグとばけもの』などで知られるOdencatのDaigo氏だ。 スクウェア・エニックスやDeNAといった大手メーカーで働いていた同氏は、モバイルゲームバブルの崩壊を機にインディーゲーム制作者に転身。昨今のインディーゲームブームの黎明期から長年の活動を続け、一定の成功を収めた人物だ。 しかし話を聞いていくと、その成功の裏には決して順風満帆とは言えない“泥臭さ”があった。 年収2000万円クラスの転職を捨て、貯金を切り崩してゲームを作り続けた。「ホームランは打てない」と割り切り、“心が折れない”ように、小さなゲームを完成させては月数万円の収入を積み上げていった。どうして彼は、そこまでして「インディーゲームを作って生きていく」という選択肢を選んだのだろうか? というわけで、今回電ファミニコゲーマーでは、そんなDaigo氏を招聘し、インディーゲーム制作にまつわるぶっちゃけ話をしてもらうことにした。聞き手として声をかけたのは、先日のヨコオタロウ氏との対談でも話題になった塩川洋介氏だ。 というのも、塩川氏自身がまさにこれからインディーゲームに乗り出すにあたって、「教えを乞いたい」立場であることに加え、実はDaigo氏と塩川氏は、スクウェア・エニックス時代の同僚で知り合いという間柄でもある。 インディーゲームというジャンルに先駆けて飛び込み、苦労を重ねながら今に至るDaigo氏と、商業での経験を経て、40歳半ばにして心機一転インディーゲームへの挑戦を試みる塩川氏。この二人ならば、より踏み込んだ議論が出来るのではないか?──そう考えたわけだ。 かくして、約10年ぶりの再会を果たした両氏なわけだが、その会話から見えてきたのは、インディーゲーム制作にまつわるTipsやノウハウ……ということではなく、むしろ「生きかた」や「人生の価値観」に近いものであった。 インディーでやるとはどういうことなのか? そして「ゲームを作って生きていく」とは? 悩める二人のやりとりを、ぜひご一読いただきたい。 聞き手/TAITAI 編集/実存 撮影/佐々木秀二 ■スクウェア・エニックス時代から、自分でゲームを作り始めるまで ──まずは元々のお二人の関係からお伺いできればと思います。 塩川氏: スクウェア・エニックス(以下、スクエニ)時代の同僚ですね。Daigoさんはどれくらいいらっしゃったんでしたっけ? Daigo氏: 10カ月くらいですね(苦笑)。当時、僕は20代後半ぐらいで若気の至りもあって、全然部署とか関係ない人に挨拶しに行ったり、お話を聞きに行ったりしていたんです。そこで、塩川さんをご紹介いただいてお会いしたのが初めてですね。今でも覚えていますよ。 ──そもそもDaigoさんは、なぜスクエニに入社したんですか? Daigo氏: もともとActivisionにいて『ギターヒーロー』というゲームを作ってたんですけど、ギターのゲームを作りたかったわけじゃないんですよ。そんな時にボストンの就活フェスみたいな場所にスクエニさんが出展していて、応募したら通っちゃって。 「あ、日本に帰るか……」って感じで日本に戻りました。みんな「頑張って来いよ!」って快く送り出してくれましたね。そこから10カ月でやめちゃうのはまた別のお話なんですが……(笑)。 ──自分のやりたいことを求めて転職した感じなのでしょうか? Daigo氏: そうですね。昔から自分で作りたいゲームを作り続けている、という背景もありまして。 中学の頃から『ツクール』シリーズでゲームを作っていて、確か高1の頃だったかな。『息子よ。這い上がれ。』という自分が作ったゲームが『ツクール』のコンテストで受賞して、「期待のスーパークリエイター」みたいな感じで新聞にも載ったんですよ。大学に入ってからも自作RPGをつくっていました。 なんやかんやあり、アメリカのゲーム会社に就職してちょうどActivisionにいた頃にiPhoneが出てきたんですよ。「これでゲームを出せるかも」と裏でコソコソとやっていたんですが、とても商用で出せるものは作れなかった。「いつか自分だけのゲームを作りたいな」という燻る気持ちはありつつも、会社という枠組みの中で働いていたので、その頃は「自分がインディーだ」という認識はありませんでしたね。 それこそスクエニにいた時も、各部署を駆け回って企画を投げては苦い顔をされるという感じで。今思えば鋭い指摘も貰えてありがたかったんですが、「ま、ダメなんだなぁ……」って(笑)。 塩川氏: スクエニを退社された後は何をされてたんですか? Daigo氏: 退社する前の話からしましょうか。ちょうどその頃、『怪盗ロワイヤル』とか『探検ドリランド』とか、モバイルゲームが盛り上がっていたんですよ。それを見て「あの規模のゲームでも凄いことができる」と思うようになった。なんですけど、日本国内だけのビジネスになることは明白でしたし、そもそもガラケーにも興味がなかった。 その後に『FF14』が仕切りなおす大事件が起きて、その直後に東日本大震災が来たじゃないですか。スクエニのビルがめちゃくちゃ揺れたのを今でも憶えてます。 当時、自分はプログラマーだったので、大量の技術的負債がある中で「大変だけど面白くない仕事」をやらないといけない。自分の「スマートフォンゲームを作りたい」という思いもあって、モバイルの部署に行きたかったんですが、当時のスクエニはモバイル分野で出遅れていたんですよ。 そんな時に元スクエニにいたDeNAの方と縁ができて、トコトコと昼休みに面接を受けに行ったら受かっちゃって。「スマートフォン・海外」という自分の興味があることに惹かれてDeNAに転職したんですね。半年間ベトナムに行ったり、サンフランシスコに行ったり、スウェーデンに行ったりとそんな感じで。 塩川氏: 当時はDeNAさんのMobageの勢いが一番すごかったときですよね。 Daigo氏: そうですね。で、その時にはすでにスマートフォン部署みたいなのを始めていて。最初に作ったのは『忍者ロワイヤル』ですね。そこには5年ほどいたんですが、僕に続いて元スクエニの人が続々と入ってきて、本当に時代が動いているという感触があって、あの場所にいられたのは良かったなと思いますね。 塩川氏: まさしく時代の最前線ですね。あのときのモバイルゲーム業界のうねりはすごかった。 Daigo氏: ただそれも長くは続かず、アメリカ・サンフランシスコのDeNAに赴任した後しばらくして、「スタジオが閉鎖します」と通達が来ちゃって。日本に戻るか、このままアメリカに残るかという選択を突きつけられた時、アメリカに残ることにしました。「ここでインディーゲームを作らなきゃ一生作らないな、いい踏ん切り時だな」と思って独立しました。 とはいえ実のところ、そこまでの強い覚悟があったわけでもなくて、時々ゆらぎそうにもなりました。ときどき就職活動もしていて、アメリカの会社からオファーをもらったりもしたんです。アメリカの会社って給料すごいんで「おぉ……」みたいにはなりつつも、どこか引っかかる部分があって断っちゃう。そんなことを3カ月に1回くらい繰り返してました。 ところで、塩川さんはどうして辞めて独立なされたんですか? 塩川氏: そうですね。『FGO』というタイトルを長くやらせていただいて、そこで信じられないような経験をさせてもらったんですよ。さまざまな問題が起こっている状態からスタートして、気づけば日本一になって、気づけば世界一になって。そこからさらにアーケードを作ったり、VRを作ったり、「『FGO』の可能性を広げること」にもいろいろ挑戦させてもらいました。一方で、「自分でオリジナルゲームを作りたい」という気持ちも、Daigoさんと同じで徐々に強く感じていくようになったというか。 Daigo氏: これ、お互いのことをもっと知りたいですね。収拾がつかなくなりそうですけど(笑)。 塩川氏: そんな時、ディライトワークスのゲーム事業部が売却されることになりまして。残ることももちろん考えましたけど、別の選択肢もあるなと。Daigoさんと同じで転職も考えたりもしました。ただ、この先やりたいことを考えると「残るか、独立するか」のほぼ2択でした。 Daigo氏: そりゃそうですよね。あのポジションにいたんだから。 塩川氏: 最終的には「やっぱり自分でオリジナルゲームを作りたい」と思って独立を選んだという感じですね。 ■「インディーでやると決めたなら、一番大事なのは貯金額」 Daigo氏: これ、みんな話さないことなんですけど、インディーでやると決めたなら一番大事なのは「貯金額」だと思うんです。 というのも結局、最初のゲームを完成させて売るまでには、少なくともその間をしのげるだけのお金が絶対に必要だからです。 インディー開発者の成功談とかいろいろ聞きますけど、僕がまず聞きたいのは「いったい始める時にどれだけの貯金があったんですか?」ということです。そこがわからないとフェアじゃないから、公開してほしい(笑)。 人によっては結婚していて、奥さんが稼いでるパターンもあったりするわけで、そうした経済状況で踏ん切りの重さって変わってくるじゃないですか。 自分の場合は「お金を貯める」ことは「自由にゲームを作れる時間を買う」ことだと思っているし、アメリカで働いていたというのもあってそれなりの貯金はあったんだけど、塩川さんはどうだったのかなと気になっています。 塩川氏: 私の場合は、ざっくり言えば「完全に無収入だったら1年でアウトだろうな」ぐらいでした。ですから、不安がなかったわけではないです。 「独立しよう」と実際に考え始めたのも独立の半年前くらいからだし、それ以前には「いつか自分でゲームを作るためにお金を貯めておこう」みたいな意識もなかった。いざ独立を意識し始めてから「どれくらいのことができるのか」というシミュレーションをした結果、出来て1年程度だろうと。 最初からどなたかに投資をしてもらうとか、株を売却するみたいなことも考えていませんでした。100%自己資金で、「ダメだったら終わりにしよう」くらいの心意気でしたね。 Daigo氏: 投資を受けるのはあまり乗り気になれないのもあって、僕も100%自己資金ですね。けど、最近の業界の流れを見ていると、インディープロジェクトへの出資がけっこう多くなってきたじゃないですか。決して否定はしないですし、海外の動向を見ても、インディーにお金が回り始めているのは良いことだと思う。 ただ、個人的にはけっこう違和感があって。 「結果を出せるのなら、あらゆる手段を使えばいい」とは思うんですけど、いきなり“最強の剣”を手に入れた状態で始めると、本来であればゼロから学べたはずのいろいろなプロセスを飛ばすことになるじゃないですか。 塩川さんみたいに「ゲームの作り方を知っている人」であればいいんだけど、ゲーム業界に行ったこともない人が、いきなりお金をポンと渡されて「これで好きにやりなよ」みたいなのは、やっぱりちょっと違うんじゃないかって。最初からそういう作り方になってしまうと、「少ない予算でやりくりしよう」みたいな発想も生まれてこないですし。 自分も最初から資金があったらドット絵じゃなくて、いきなり3Dゲームが作れたかもしれない。けど、そうすると、今の自分がやっている作り方は成立しなかったと思うんです。 そういう意味では、僕が感じるのは「違和感」というよりも「危機感」なのかもしれません。もし上手くいかない理由があるとしたら、そういうところなのかなと思っています。 塩川氏: 私もDaigoさんと同じような感想を抱くところはあります。 今、自分の会社に一応オフィスはあるんですけど、築50年ぐらいのマンションの1室なんですよ。今対談している会議室と同じくらい……いや、こんなに広くないか。ちょっと盛りました(笑)。 Daigo氏: もう絵に描いたようなインディーの園というか、スタートアップの拠点ですね(笑)。 塩川氏: さまざまなプロジェクトを長年やってきた経験からすると、お金ってあっという間に消えていくんですよ。生きているだけでも、お金は本当にガンガン減っていく。 だから、自分は可能な限りゲーム作りにお金を使いたいと思ったんです。会社の利益も、基本的にはゲームを作ることに回していきたいなと。 私自身が物欲がないほうなので、オフィスやモノにあまりお金をかけようと思わないことのほうが大きいかもしれませんが。 Daigo氏: 僕はお金のない状況を楽しむ方なので、最近すごく思うのが「開発資金が少なくて良かったな」ということなんです。いきなり100億円みたいな貯蓄がある状態で人生がスタートしたら、何かクリエイティブなこととか、ビジネスを始める気力って起きないだろうなって。 日本ってほかの国と比べても、国がゲームに全然お金を出さないし支援も少ない国ですよね。3年前ぐらいにデンマークへ1ヶ月、留学というかそんな感じで行ってきたんですけど、他の国のクリエイターからは自国からの支援が手厚いという話をよく聞きました。羨ましいと思いつつ、一方でそんなに支援してもらっている割には、そこまでいいものを作れているのかな? とも思ったりする。国からの支援がほぼないのに日本のクリエイターはよくやっているなと……。 だからこそ思うのは、お金って大事なんだけど、「クリエイターの強さ」ってお金から来ないのかな、ということです。ある種のハングリーさや狂気がないと作れないものがあるというのは時々思うし、とくに最近は自分の会社がちょっとうまく行っていることで、そうしたものが失われていないだろうか? と不安に思うことがあります。 塩川氏: 私がディライトワークスに入社したときはまだ20人ぐらいしか社員がいなくて「席の後ろも通れないよ」みたいな狭いスペースにぎゅうぎゅう詰めになって仕事をしていました。 しかし、そこから『FGO』が大ヒットしたことで、会社に一定のお金がある状態になっていったんです。会社の規模も20人から400人ぐらいに急激に大きくなって。 「お金があれば、何でもできるじゃん」と思う方もいるかもしれませんが、まさにDaigoさんのお話にあったとおり「お金があってもできないこと」もたくさんあって。「些細なお金の消費が気にならなくなる」みたいな副作用もあるし、ハングリーさや狂気みたいな失われていくものもあるし。そうなってきた時に感覚が狂っていくんだろうなと思います。 これは「ゲーム作りにいい影響を与えないな」というのは感じていて。もちろんお金がないとゲーム自体は作れないんだけど、「お金があっても作れないものがある」という学びがありました。 Daigo氏: そこなんですよ。逆にお金のない作り方をしていると、ある種いい意味で「ケチ」になって、無駄なことにお金を使わないので、ここぞというところに資金を投入できると思うんです。 ■なぜ年収2000万クラスの転職を捨ててまで、インディーゲームを作るのか? ──先ほど「会社にお金がある状態になった」とおっしゃられていましたけど、塩川さんはそこで金銭感覚は狂わなかったんですか? 塩川氏: あくまで会社のお金であり私個人のお金ではないのですが、それでも「満たされている」という状態はすごくいろいろな感覚を鈍らせるんだな……と独立した今になって実感します。 独立してからは、当然ですけど満たされないことだらけなわけです。あれもないし、これもないし、明日をも知れないみたいな状態の中だからこそ、感覚が研ぎ澄まされていくな、という感覚があります。荒野で生きるライオンが「あ、いま数キロ先で一瞬シマウマの臭いがした気がする!探すぞ、ウワァァー!」みたいな感じで(笑)。 Daigoさんはこういう境地で何年もやられているわけですから、やっぱりすごいなと思います。 Daigo氏: そう言われてみると、僕が独立してから最初の数年は、狂気に近いものがあったと思います。だって、基本的に1日のサイクルが「起きる。ゲームを作る。寝る」ですから。それしかないんです(笑)。 一同: (笑)。 Daigo氏: 最初の2年ぐらいはもう本当に、ずっと独りで引きこもって作っていました。 当時の知り合いもけっこうみんな日本に帰っちゃっていたので、寂しいのもキツかったですね。日本語で話す相手がいないから、どんどん口が回らなくなっちゃったりして。 それで2年ぐらいやって、ようやく『くまのレストラン』を出して。それが売れたので、日本に帰ることにしたんです。ここはもっとちゃんと振り返るべきなんだと思いますけど、そのとき、結婚して、奥さんがいて、子供がいて……という状態だと、ゲーム作るのは無理だなと思っちゃったんですよ。マジでプライベートがない状態で、ゲーム作りだけやっているから。 『Indie Game: The Movie』というインディーゲームのドキュメンタリーがあるのですが、開発者の壮絶な開発の話が描かれていて、プライベートを全部犠牲にして、友達もいなくなって、車も売って……みたいな。気づいたら自分も似たような状況になっていたな、と今振り返ると思いますね。インディーゲームを作るなんて狂気の沙汰です。(笑) なので、自分は資金をもらってメディアミックスしてとか、そういう景気のいい話よりは、どうも苦労した人の話に共感してしまう。「お金もらえていいな」と思う気持ちと、「お金もらえるんだったら、俺の苦労はなんだったんだ」と思う節もある。自分を正当化したいところもあるかもしれませんね(笑)。 自分の場合は、当時からリモートで協力してもらっていた日本の友達がいるんですが、今思えば「よくついてきてくれたな」って思います。 ただ、これって自分が19歳で起業していたら存在しなかった絆だと思うんです。30歳近くまでずっと積み上げてきた人脈というか、意外と20歳を超えると大学の友達とか、趣味が関係ない友達ってどんどんフェードアウトしていくじゃないですか。だから、残るのは趣味の話とか、ゲーム作りの話をしている連中ばかりに煮詰まっていく。 塩川氏: 最初はもうずっと自分の貯金を切り崩して作っていた感じなんですか? Daigo氏: そうですね。でも、ただ切り崩すだけじゃ夢がないと思って、「小さなスマホゲームを定期的にリリースする」ということをしていました。 自分の場合、「ホームランは打てない」と初めから諦めていたんですよ。ずっとスマホゲームを作っていた経験から「いくらお金をかけても、コケる時はコケる」と分かっていたので、それよりは「小さく積み重ねよう」と心に銘じてやっていたんです。 『償いの時計』はずっと前に自分が作ったRPGツクールの作品なんですけど、割と実況などで人気があったので、「最初はもうこれをスマホに移植することだけに集中しよう」と。クリエイティブなことをあまり考えず、とにかくゲームエンジンや技術に投資して、スマホで動かすことだけに集中しました。その結果、月あたり数万円ぐらいを生み出すゲームになりましたけど、数万円じゃ生きていけないですよね。 その後、その技術で『しあわせのあおいとり』というゲームを作ったんです。脱出ゲームが流行っていたので儲かるかなって(笑)。 それも最初はそんなに売れなかったんですけど、Googleにフィーチャーされたりしたことで、少しずつ収入が増えてきて。その後も「前の作品と新しい作品を合わせて収入を得る」ということを、愚直に4作品まで繰り返したんです。そうすると、さすがに月10万円は超えてくると。 当時、プログラマとしてアメリカの会社に就職すれば年収1500万円~2000万円はあたりまえにもらえる状況で、言い換えれば月100万以上の収入を得ることができたわけですよね。それに比べたら、作ったゲームから得られる収入は全然大したことはないし、なんなら家賃にも足りない。 ──Daigoさんは、なぜ2000万円の転職を捨ててまで作り続けたんですか? Daigo氏: なんででしょうね?(笑) ただ、ひとつ言えるのは、そのとき自分が重視していたのは、絶対的な売上の数字ではなくて「前と比べてどれだけ伸びたか」というところでした。それがすごくモチベーションになっていて、「これを続けたら2年後には……!」みたいな。 現在ほとんどゲームの売上がなくてもそういったKPIから、夢が見られた。そういう夢が、当時の自分にとってはめちゃくちゃ大事だったんです。 塩川氏: なるほど……。その夢があったからこそ、ということですか。 Daigo氏: だから、もし5年とか6年かけて一本のゲームを作ろうとしていたら、途中で心が折れていたと思います。自分は小さなゲームを作り続けて、その売上やフィードバックをもとに夢を見れたから、生きていられた。そういう部分はあると思います。 みんな「小さなゲームを作れ」って言っても聞かないですけど、やっぱり小さなゲームは作った方がいいんじゃないかなって思いますね~。 塩川氏: ゲームはリリースまでどれぐらいのスパンで作っていたんですか? Daigo氏: だいたいどれも半年ぐらいのスパンでしたね。プライベートを犠牲にすると、人間は本当に速いんですよ(笑)。当時は、今の自分の5倍から10倍の速度があった気がします。 たとえば『くまのレストラン』は6ヶ月ぐらいで作ったんですよ。ストーリーをバーッって書き出して、みたいな異常な集中力があったんですが、最近は社長業みたいなものもやっているせいなのか、そういうのが鈍ってしまっていて、ちょっと悔しいです。 ■インディーゲームの夢の今 ──下世話な質問になってしまうのですが、『くまのレストラン』ってインディーゲームとしてはメガヒットタイトルだと思うんです。それでも意外と儲からないものなんですか? Daigo氏: それなりのお金にはなりましたけど、全部使っちゃいましたね。なくなっちゃいました。 塩川氏: 夢のある話はないんですか(笑)。 Daigo氏: 『メグとばけもの』に関しては、これくらい流行ってくれればフェラーリに乗れてもおかしくないんじゃないかと思ってるんですけど、乗れる気配は全くなく(笑)。 塩川氏: 地域的にはどこが一番売れているんでしょうか。 Daigo氏: 日本が一番売れていますね。あまりこういうことは言いたくないですが、日本市場の小ささを実感せざるを得ない状況にはなっていますね。周りの開発者仲間からも、「日本市場のキャップ(上限)はこれくらいだ」という話をちらほら聞きます。 自分で言うのもあれですけど、インディーでゲームがここまで話題になるってなかなかないだろうと思うんですよ。「これ以上は逆に何をすればいいんだろう」と思うぐらい。だから、日本でヒットするだけではフェラーリには乗れないんだなとという気持ちにはなります。 ちなみにフェラーリが欲しいわけではないです(笑)。 ──『メグとばけもの』ってSwitch版、Steam版の売上比率ってどれくらいなんですか? Daigo氏: 同じぐらいですね。逆に言うと、日本はSteamユーザーがあまりいないイメージだったので「日本でもSteam版がこんなに売れるんだ」と驚きました。 この作品もどちらかと言えば、海外で売れるかなと想定していたんです。もちろん、世界中で売れてくれたら嬉しいですけど、それでも母国で売れるというのは嬉しい誤算というか、認められた感じはありますね。 塩川氏: Daigoさんはインディー業界歴という意味でもけっこう長いじゃないですか。その中で、「こう変わってきたな」みたいなものはありますか? Daigo氏: もはや「インディー歴」なんてものが付くんですねぇ~(笑)。 塩川氏: いやいや、私にとってはインディー業界の大先輩ですから……。 Daigo氏: 一番最初に日本のインディー業界で認識されるようになったのは、2018年の『くまのレストラン』ですかね。その後にGoogleのインディーフェスティバルで受賞して、その前後でOdencatを設立して。その頃はずっとモバイルでゲームを作っていたので、自分はモバイルの世界のことしか知らなかったんです。Switch版とか夢のまた夢だったし、出すつもりもなかったし。 『くまのレストラン』ってすごくシンプルな話だし、これをSteamやSwitchに移植したところで、期待値がすごく高い世界だから、「どうせ『UNDERTALE』とかと比較されて、ボロクソに言われて終わるだろうな」と思ってたんです。 しかし実際に移植して出してみると、思ったより話題になったんですよ。絶対「モバイル版が無料」ってところがネックになって、比較されて売れないだろうなと思っていたんですけど、そこも全然問題なくて。むしろモバイルがあったから、こんなに売れたという結果になって。 一方でモバイルのインディーは、最近ちょっと“弱まってきた感”があります。モバイルでインディーやってた人達が、SteamなどPC・コンソールを目指すという流れになってきているのを感じますし、バブルが弾けた感とでも言うべきかな。 ──スマホが普及しだした頃の「アプリドリーム」みたいなものも、いまは完全に無いですよね。 Daigo氏: そういうバブルが収束しそうなところで、インディーでまたちょっと盛り上がった。なんですけど、最近は広告収入が減ってきたとか、レギュレーションが増えて面倒くさくなったのが大きく関係していると思います。あと、一昔前は中国でアプリがよく売れたので「チャイナドリーム」があったんですけど、それもなくなっちゃったんで、萎んできているのかなというのがモバイル側の視点だったりします。 コンソールもどうですかね。『メグとばけもの』の主題歌をやってくださっている鴫原ローラさんという方がいて、彼女はアメリカの業界にも詳しいんですけど、彼女からするとベイエリアのインディーの人たちが大人しくなっていっているそうです。 それには自分も同意見で、ベイエリアはもうゲームの中心じゃなくなっていると感じている。インディー開発の中心がアメリカから別の場所にシフトしているのかなと思います。 塩川氏: その元気がなくなっていっているというか、衰退していると感じる部分はどういうポイントなんですか? Daigo氏: もちろん、自分達の見ている範囲の世界でしかないから、バイアスがかかってる可能性は十分あると思うんですけど、ベイエリアでいうとやっぱりIT人材が高騰しすぎているんですよ。 あまりに高すぎて「ここに住んでいる意味ないよね」みたいになっちゃったし、その結果 、ゲーム会社もどんどん撤退した。だから、今もベイエリアに残っている会社って、ゲームらしいゲームというよりは、アプリ内課金とか3マッチパズルとか、そういうカジュアルゲーム系らしくて。 当時ベイエリアを席巻していたインディーゲームの話みたいなのもあまり聞かなくなってますよね。「みんな結婚したり家庭を持って大人しくなっただけ」という説もあるんで、全体としてどうかは僕には分からないですけど、やっぱり変化は感じますよね。 ■「社長業」は自由の代償? ──今、Daigoさんの会社(Odencat)はどれくらいの規模なんですか? Daigo氏: 基本は業務委託で、今は10人ぐらいで回してますね。そこからちょうど今月、正社員をひとり雇おうとしていたところでした。 そういう意味では、ハングリーにずっと開発だけしているわけにもいかなくなってきて。何か色気づいた……というわけじゃないですけど、他にやることも増えてきちゃいました。 塩川氏: やはり開発に戻りたいですか? Daigo氏: つらい時期に戻りたいわけではないんですけど、あの時の自分のアウトプットを思い返すと、そういう開発者や、クリエイターとしての強さを取り戻したいなとは思います。とはいえ、会社としてやっていくには、全部自分がやるのではなくて、「人に任せる」ってことをやっぱりしていかなきゃいけないんだろうなって。 ただ、社長を交代して開発に専念したいかというと、やっぱそれはそれで不安なので、まだそれはできない。課題をクリエイティブに解決するのが好きだから、何とかしたいとは思っています。 塩川氏: 自分の場合は事務作業とか本当に苦手なんですけど、「これは自由の代償かな」と思ってなんとかやっています。 Daigo氏: 「自由の代償」という意味では、最近リリースした『メグとばけもの』はそうかもしれません。 ありがたいことに一定数の反響があったので、会社としては成功なんですけど、クリエイターとしてはとても悔しいんです。 というのも、今作は僕一人で作った作品ではなくて、弊社のリョータさんが中心になって開発したゲームなんです。今作では、僕はプロデューサー的な立ち位置で、内容についても議論はするんだけれども、キャラクターの台詞回しだとか、バトルシーンでどういう敵が出てくるとか、具体的な企画やゲームの細部を考えたわけではないです。神は細部に宿ると言いますけども、その細部をやっていない。だから、「Odencat作品」「リョータ作品」ではあっても「Daigo作品」とは言えないんですよね。 人が増えてきたことで、余計に「クリエイターとしての自分、社長としての自分」の乖離みたいなものを最近感じてますね。 ──スケールアップというか、Daigoさんおひとりからチームになっていくのはどういった経緯だったんですか? Daigo氏: これは投資されていないスタートアップに多いと思うんですけど、気付いたら会社にしていた系です。「株式会社ってカッコいいよね」とか、「売上が1,000万を超えたら会社化した方がいいよ」みたいな節税目的とか、そういうノリでした。 ──他人のゲームをプロデュースする側に回るのは、「Daigoさんがやりたいこと」とちょっと変わってきているのかなと思いました。 Daigo氏: プロデュースに関しては、まだ経験が浅いのであまり上手いことは言えないのですが……「他人と意見の衝突があって、相手の意見を優先する」ことがあるというのは、自分にとっては新鮮な体験でした。「絶対これダメだろう」「いやいや」とか議論はするんですけど。 『メグとばけもの』のシナリオを担当してくれたリョータさんは意志が強い人で、自分が「絶対こっちのほうがいいよ」と言っても「イヤ、ダメです」みたいな(笑)。そこでバトってどっちが勝つか分からない、みたいな状況が増えてきて。面白くもあるんですけど、自分が負けることもあるから悔しいなと思ってます。 その最終的な答えは、ユーザーさんの意見になるんですけども、それを見ると「彼が正しかったな」と思うことはけっこうありますね……。 ■「マネジメントしないゲーム作り」とは……? 塩川氏: なるほど……。ここでひとつ、お悩み相談をしていいですか。 Daigo氏: 気になりますね(笑)。 塩川氏: 端的に言えば、「どうやってうまく開発を回していますか?」ということです。 やっぱり自分たちだけでできることって限られちゃうから、社外の方にも仕事をお願いすることになるじゃないですか。先ほどほとんど業務委託で回しているとおっしゃってましたので、Daigoさんはどうやって人を束ねて成果を出しているのかな、と。 Daigo氏: ちゃんと束ねることはできてないと思います。単純にマネジメントできてなくて、お金だけ払ってます(笑)。どうせお互いに守れないから、締め切りを決めても意味がないので、「できたら教えて」みたいな感じでやっています。 塩川氏: それでいいんですか!?(笑) Daigo氏: たぶん、ダメだと思います(笑)。もちろん、あまりにスケジュール感のずれがあるときは話し合いますが。 ただ、自分の場合は「なるべくずっと一緒にやろう」としているところがあって。信頼ベースでやっているので、「ここまでにやれ!」とか怒ってもしょうがないかなと……。そもそもクリエイティブな仕事だと見積もりが難しいこともありますし。とはいえ、向かってる方向が一緒で信頼関係があるのが大前提ですね。 開発ラインを作家ベースでそれぞれに立ち上げて、自分はそれを束ねてOdencatとしてまとめる……という役回りをしている感じですかね。今はそんなに日の目を見ている物がたくさんあるわけではないんですけど、昔出した『潮騒の街』や『エンゼル・ロード』という作品は、他の作家さんのものを移植した作品なので、そういう意味ではいろいろな色を出せたらいいなって。 複数ラインを走らせているといっても、「できたらいいかな」くらいの感覚で、コミットメントはそこまで求めていなくて。ゲームって1カ月や2カ月でできるものじゃないし、ものによっては数年かかることもあるので、「種まき」みたいな感覚で、なるべく早くスタートすることにしているんです。 結局のところは波長が合う人とやっているという感じです。なるべく『UNDERTALE』や『MOTHER』が好きな人がいいですね(笑)。面白い人がいるから、一緒にやるかという感じ。 ──Daigoさんと仕事をする個人の作家さんからしたら、なにがお互いのメリットになるんでしょう? Daigo氏: お金の話もありますけど、一番は自己実現じゃないですかね。『メグとばけもの』もリョータさんの色を存分に出してる作品だし、みんなの承認欲求を満たせているというところは確実にあると思います。 あと、一人でゲームを作って売るってなんだかんだ言ってすごく大変ですし。自分一人でゲームを作って売るところまでやれるタイプの人は自分でやった方がいいのでは、と思いますけど。Odencatの思想に共感した物好きな人が勝手に集まってきた結果が今のOdencatです。たぶん(笑)。 ……ということで残念ながら、マネジメントの悩みには答えられませんでしたね。マネジメントすることをあきらめてしまっているので……(笑)。 ■インディーゲームは作品だけでなく、その背景をも見られる 塩川氏: もうひとつご相談したいのが、コミュニケーションについてです。 お恥ずかしい話なのですが、私は人とのコミュニケーションが得意じゃないんです。しかも、たとえば映画を2時間観るんだったら、そのぶん2時間何か手を動かして、アウトプットすることに割きたい……と考えてしまうタイプで。 でも、流石に独立した今は社長としてこれはマズいかなと思って、「積極的に人と会おう」みたいな期間を設けては、それが終わったらまた引きこもってという暮らしを繰り返しているのですが、これがなかなか上手くいっている感じがしなくて……。 一方で、Daigoさんは作家さんたちだけでなく、インディー界隈のいろいろな方々と情報を交換したりと、円滑なコミュニケーションをとられていると思っておりまして、何かその秘訣といいますか、どうしたらいいかをお聞きしたくて。 Daigo氏: アドバイスかあ……あまり無理しなくてもいいんじゃないですか(笑)。 僕の場合は、別にコミュニケーションを取ろうと思ってやっているんじゃなくて、ただ楽しいからやっているところが大きくて……なんなら開発がつらいからちょっと逃げている部分もあります。もちろん、それが回り回って何かの役に立つことはあるんですけど、本質的には「コミュニケーションをしよう」と思ってしているわけではないですね。 実際、僕もしょっちゅう人に会ったりしているわけではなくて、Discordで駄弁ってるみたいなときのほうが多いですし。 ──塩川さんが対等な立場で話せる方っていらっしゃるんですか? 塩川氏: 対等な立場で、とか友達のような間柄の方は少ないと思います。 もう3年おきとかそういうレベルなんですけど、「何かあったら連絡ちょうだいよ」とたまに連絡を取り合って……という方はいるにはいるのですが。 Daigo氏: え、友達いるじゃないですか! 塩川氏: 友達ではないかもしれないですけど……。 Daigo氏: そこは友達って言っちゃっていいんですよ! 友達がいないんじゃなくて、塩川さんがカウントしていないだけだった(笑)。 塩川氏: 勝手に友達呼ばわりして、相手から怒られたりしないですかね……?(笑) Daigo氏: 「3年おきぐらい」と聞いて、その方との繋がりは「残り続けた猛者たちのつながり」のようなものだと感じました。 自分の例でいうと『メグとばけもの』の音楽は裏谷玲央さんという元カプコンで『モンスターハンター』などの楽曲を手掛けていた方に担当いただいたんですが、そのきっかけはCEDECで発表したときにお声がけいただいたからなんです。 「自分が昔に作ったゲームが好きだったから、今度何か一緒にできたらいいね」と。まさか自分が19歳の時に作ったゲームがきっかけで、20年越しにコラボができるとは思わなかったですけど(笑)。 そこの繋がりも「彼が“元カプコン”という箔が付いてて、彼に頼めば売れるから」という発想ではなくて、単に彼が独立して「インディーでやりたい!」というパッションがあって、さらにありがたいことにうちのゲームのファンだったから成立したことであって。 とはいえ、そこも何も言わなければ「元カプコンのすごい人に頼みに行ったんだな」みたいに思われるかもしれないんですけどね。この手の話って、それこそインタビューか何かで言わないと伝わらないことではあるのかな。 ──伝え方にもよるところなのかなと思います。たとえば、裏谷さんに楽曲を依頼した背景をプレスリリースで伝えると「上から」に見えてしまうだろうし、逆にこうした場所で伝えるとある種「下から」に見えるかもしれない。 Daigo氏: その意味では、インディーゲームって作品だけじゃなくて、背景もすごく見られてると思うんですよ。昔からの友達と一緒に作っているとか、何十年もずっとインディーでやりたい想いがあって、とか。そういうウェットな感じが大事ですよね。 たとえば、『くまのレストラン』と『フィッシング・パラダイス』の音楽は大学の友達に頼んだし、その『フィッシング・パラダイス』のサブイベントを全部作ったのも中高の友達。みんな昔の友達なんですよ。 リョータさんや裏谷さんは昔からの友達というわけではありませんが、ただ業務をお願いしているというだけではなくて、どこか個人的なつながりだったり関係だったりする部分はあるなと思っています。 特に裏谷さんとは「インディー」と「プロ」の視点での衝突が当初あったと思っていまして、お互い傷つきあったりしたこともあったのですが、そういうドラマも含めてインディーゲームだなぁ、と今では思ったりもしています。 実際にプレイヤーさんはそういう背景があった、とは直接にはわからないと思うんですけど、「にじみ出る」というか、自然と何かが伝わるものがあるのだと思います。 ──お話を聞いていると、Daigoさんはやっぱり、そもそも人徳があると感じます。「中高の友達に仕事を頼める人」ってあんまりいないと思います(笑)。 Daigo氏: 中高から『ツクール』をやっていたので、その頃から趣味の友達が多いというのはあるかもしれないですが。 でもたしかに言われてみれば、何も用がなくても声を掛けたりとかはたまにしますね。Facebookとかで「こいつどうしてんだろうな」とか、旅行しに行く時は「こいつここら辺に住んでたはずだな」みたいな感じで声かけたりとか、意外とそうすると、向こうもまんざらでもないことがけっこうあったりする。知らず知らずのうちに、お互いに変に遠慮しているのかなと思うこともありますね。 ちょっと勇気を持って声をかけると、その絆がまた復興するのに、みんな声をかけずに終わっちゃうことって、案外多いのかもしれません。 塩川氏: 勉強になります。身に染みますね……。 ■「『FGO』の人」から「『つるぎ姫』の人」になれるのか? 塩川氏: 先ほどお話しにあった「インディーゲームでは作品だけでなく、開発背景もすごく見られる」という点はまさしくDaigoさんのおっしゃるとおりだと思います。 その点では、私の場合はまだまだ「『FGO』の人」として見ていただいてる部分もあって……。 Daigo氏: 過去の作品で知名度があったり、有名な人たちってそれゆえに色眼鏡で見られてしまいがちですよね。インディーをやりたいと思っているのに、その色眼鏡ゆえに、なかなかそういうことができない……みたいな話も聞きます。 今の塩川さんだったら、もうそれこそ『FGO』というフィルターを通して見られることがほとんどになっちゃいますよね。 ──普通のユーザーさんとか、ちょっと距離がある人からすると、それこそ「めっちゃお金持ってそう」みたいな色眼鏡は確実にありますよね。 Daigo氏: やっぱり『FGO』のインパクトは大きくて、「何かスゲェ車乗ってんだろうな」みたいなイメージはあります(笑)。派手なイメージはどうしても出ちゃいますよね。 塩川氏: 実際はボロボロのオフィスで、「会社は1年続けばいいかな」みたいな状態でなんとかやっている、みたいな状況なんですけどね……(笑)。 Daigo氏: とはいえ、やっぱり塩川さんの名前がクレジットに乗っちゃっている時点で、「インディーじゃないじゃん」と思われても、ある程度は仕方がないのかなとは思います。 塩川氏: そう思われますかね。 Daigo氏: ユーザーさんたちからは怖いというか、冷徹なイメージがあるんですかねえ。 でも、これはかなり特有の悩みだと思います(笑)。普通のインディーでは、まずない悩みなんじゃないですか? 塩川氏: 『FGO』に限らず、基本無料のスマホゲームにおけるユーザーさんの熱量みたいなところは、他のゲームと比較して特有な部分はあるのかなとは受けとめています。一つのゲームにかけるお金も時間も多くなってくるし、熱量を持っている人であればあるほど生活の一部になってくるから、思い入れの形もそれだけ大きくなってくる。 ──インディーゲームって、やっぱり好きな人しかそもそも興味関心を持っていないので、自然とユーザー層もピュアになっていくと思うんです。一方でメジャータイトルになると、もっといろいろな層が増えるし、不満を持っている人の絶対数も増える。 たとえ良いものだろうと「あの塩川が作ったやつか」で終わってしまうのは、やっぱりもったいないなと思うんです。 Daigo氏: たしかに塩川さんを不満に思っている人はいるかもしれないけれども、それ以上に「別にそうじゃない人」もいっぱいいるんじゃないですか。 ちなみに、『FGO』時代に塩川さん自身がつらかったことってありました? 塩川氏: 自分が何を言われようと自分自身はつらいとは思わなかったですけど、一方で「『FGO』を楽しんでくださっている方々へ申し訳ない」という思いがすごく強かったですね。 Daigo氏: お話を聞いていると、塩川さんはとにかくがむしゃらにやっているというか……。「ゲームが好きなんだな。ゲーム作りたいんやな」というのは間違いなくありますよね。 そこのピュアなものって、今の話を聞いてても確実にあったと思うんですけど、僕も塩川さんも、「ゲーム作りの優先度が、人生のなかで最高レベルにある」というのは間違いないんですよ。 ──いまおっしゃられたような「求道者的な感じ」は、塩川さんのひとつの魅力だと思うんです。でも、おそらくそれはいままでちゃんと発信されていなかったし、伝わっていなかった。 Daigo氏: 僕もそう思います。さっきおっしゃっていた「コミュニケーションよりもアウトプットしたい」という話もそこに繋がっていますよね。質の高いインプットは質の高いアウトプットに直結するとは分かっていても、欲求としてはアウトプットしたい。 作品を出し続けて、どんどん上書きしていけばいいんじゃないでしょうか。そうしたら、『FGO』の色眼鏡も薄れていくと思うし、インディー開発者としての塩川さんの色の方が強まっていく気がします。 ■「自分の色を出す」ということ Daigo氏: 企画の趣旨が変わっちゃうんですけど、逆に僕からお悩み相談してもいいですか? 塩川氏: もちろんです。 Daigo氏: 先ほどもちょっと話に出ましたけど、社長業が悩みですね。クリエイティブと関係ない作業がすごく多くなってきて。 塩川氏: 自分もめちゃくちゃ苦戦しました。最初の1年ぐらいは「今日は、スライムを一発で倒せるようになったぞ」みたいなノリで、「今日は、経費精算できるようになったぞ」といった小さなことに成長を感じることでなんとかやっていけてましたね。 ただ、それも1年ぐらいが限度で。いまは作業自体は速くなったんですけど、同じことの繰り返しで新たな学びもない部分から少しずつつらくなってきてます(笑)。 Daigo氏: インディーゲームって、こういうつまらない話は記事にならないんですよ(笑)。確実にそれが我々のリソースを蝕んでいて、ゲームのクオリティに影響しているのにね。 税金、経費、法律とかゲーム作りと関係ないことがすごく多くて、そこって何とかならないのかなと。そういうソリューションをどこかが提供してくれないかな、というのはちょっと思います。 あとはうちってゲームエンジンの制約があって、2DのRPGしか今のところ作る予定がないから「大丈夫かな、飽きられないかな?」って。 塩川氏: タイトルを重ねてきたがゆえの悩みですよね。 Daigo氏: 将来をそこまで見通せないんで、正直「いつまでこれで戦えるのか」という不安はやっぱりありますよ。 塩川氏: 新しいものにチャレンジするにせよ、やるのであれば両立がいいんじゃないでしょうか。これだけ積み上げてきているものがあるから、そこを捨ててしまうのは非常にもったいないと思います。やっぱり「自分の色を出す」ってすごいことだと思うんです。 Daigo氏: すごく参考になります。あと聞きたいのが、『つるぎ姫』ってゲームシステムにすごく力が入っているのは分かるんですけど、世界観やストーリーへの思い入れってどうなんですか。全部自分たちでやりたいのか、他のIPにすげ替えても成立するのか、ちょっと気になります。 塩川氏: その意味で言えば、自分としては「渾然一体のもの」を作っているつもりではいます。『つるぎ姫』もそうなんですけれども、「このシステムがあるからこそ、この設定だ」という感じで、見た目を含めて組み立てていっている感じです。 ですから、「これを他社さんのIPでやります」と言っても、成立しないようにはなっていると思います。 Daigo氏: 売れはするでしょうけど(笑)。 塩川氏: 出発点がゲームシステムで、そこからキャラクターを含めたデザインが入ってくる感じです。アイデアが核にある上で、「運命さえ"クラフト"する、アールピージー。」というコンセプトに肉付けしていく。そういう意味では、わりと色濃くオリジナル作品を作っていこうという思いが強いです。 やっぱり尖ったものを作ろうと思ったら最大公約数じゃ作れないというか、意見を聞いて立ち上げたものではそうはならないし、正解か不正解かは最終的にお客さんしか決められないじゃないですか。だったら、「信じて乗るしかない」という気持ちです。 Daigo氏: 楽しみですね~。モバイルをやる予定はありますか? 塩川氏: しばらくはPC・コンソールがメインになりそうです。 Daigo氏: 自分は1周回って、モバイルに興味が沸いてるんです。みんなモバイルから離脱しまくってるから隙間が空いているし、うちの会社の懐事情としてもまだモバイルが多いんですよ。だから、そろそろ燃料を入れないとなって。 うちの場合、日本でPCだけだと食っていけないと思っているので、うちがやれることは愚直に全世界に向けてオールプラットフォームで出すだけ。それでもギリギリだし、インディーで成功するのって難しいなと思います。いつの時代もそうだとは思いますけど、これから参入する人は大変だよなあ……と思います。 そういえば、塩川さんが本を書いているのって、教育とか後進育成みたいなお考えがあるということですか? 塩川氏: アメリカに出向していた時期があるのですが、使わないと身につかないので、最初は英語の勉強がてら……という感じでしたが、最終的には自分の経験を業界に還元しないと、という気持ちが大きくなっていましたね。CEDECで講演したりするのも、そういう意味合いです。 当時、私は日本でもゲームを作っていて、スクエニという大きな会社でディレクターをやったり、海外でもディレクターをやったり、規模を問わずにいろいろなことをやらせていただいて。上から目線に感じるかもしれないですが、それでも実際にこういう経験がある人は日本のゲーム業界の中には少ないと思うんです。 Daigo氏: そんな人が悪者扱いされるのはひどい話ですね(笑)。ちなみに塩川さんが監訳した本の著者の教授が、私がアメリカで勉強していたときの教授だったんですよ。「お、塩川さんじゃん」って。 塩川氏: そんな縁があったとは……。ありがとうございます(笑)。 執筆はお金にならないですしね。時給に換算したら、30円とか50円くらいです(笑)。ですから、ある種ライフワーク的にやってる感じです。 Daigo氏: でも、その翻訳や講演の時間ってアウトプットにならなくないですか? 塩川氏: 私も最初はそう思ったんですけど、じつはかなりの気づきがありました。自分が持っているノウハウを言葉にして、可視化して人に喋ることで、改めて見直しが入る。 Daigo氏: 確かに自分もCEDECで登壇しましたけど、いい振り返りの機会になりましたね。登壇してみるとか、ブログで発信するというのが大事なのかな。自分のためにもなる。ノウハウをシェアすることをあんまり心配する必要はないとも思っています。知っても実際にやる人はほとんどいないでしょうし。 塩川氏: 自分でやった場数以上のものを知ることで、「他の人は何に苦戦してるんだろう」とか、どんどん知見がバージョンアップされていってる感じはしますね。 ──そろそろお時間になるのですが、おふたりは今日お会いしていかがでしたでしょうか? 塩川氏: まずは本当にありがとうございました。インディーゲーム開発者としても、独立したゲーム会社の社長としても、先輩としていろいろ教えていただき、感謝しかないです。 Daigo氏: スクエニでは塩川さんのほうが先輩だったのに(笑)。 最後にお会いしてから10年ぶりとなりますが、今日は塩川さんと再びお会いできてうれしかったです。これは得難い縁だなと思います。今日こうして塩川さんと対談していること自体がラッキーだし、こういう場で深く話せるのもすごくラッキー。いきなりプライベートで「3時間話そうぜ!」と言われても「うん」と即答するっていうのはなかなかないですし。今日はすごくいい機会だったなと思いますね。 塩川氏: お会いしたのは10年ぶりくらいですけど、Daigoさんのご活躍は日頃から拝見していたので。今日はお話ができて、Daigoさんが長年に渡って最前線で戦えている理由を学ばせていただきました。頑張っていいゲームを作っていきたいと思います。 Daigo氏: こちらこそありがとうございました。『つるぎ姫』のリリースを楽しみにしています!(了) 「自分の作りたいゲームを作って生きていく」。 その言葉の美しさの裏には、ひどく泥臭く、現実的な、あらゆる苦難がうごめいている。そんな感想を抱かざるを得ない対談だったと思う。 自由にゲームを作るには、まずお金で時間を買わなければならない。しかし、お金がありすぎてもいけない。豊かさがクリエティビティを眩ますからだ。 仮に自由を手に入れたとしても、その代償としての社長業がつきまとう。経費精算、銀行振込、契約締結。独立し続けるために必要な事務作業は、リソースを確実に蝕み、ゲームのクオリティにさえ影響する。 こうして書き並べてみると、改めて、インディーゲーム作りは「茨の道」だと思わざるを得ない。Daigo氏が語るように、やはり「狂気」や「ハングリーさ」、「クリエイターとしての強さ」がなければ、やっていくのは難しいだろう。 しかし一方で、対談で交わされる言葉の端々から、彼らふたりがその資質を確実に持っており、そしてその人生を賭けるに値する想いをもってゲーム作りに挑んでいることも、間違いなく伝わったのではないかと思う。 ふたりは今後、どのようなゲームを世に送り出していくのか。その作品たちはどのように受け入れられ、人々の記憶となっていくのだろう。彼らのさらなる躍進から目が離せない。
電ファミニコゲーマー:TAITAI,実存
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