もしも街角のピアノが弾けたなら 全方位ch
西田敏行の歌の文句ではないけれど、「もしもピアノが弾けたなら」と、思うことがある。 甘いショパン、力強いリストのようなクラシックから、モンクのように華麗なジャズ、ザ・ビートルズのような軽快なポップスまで、あの白と黒の鍵盤を自由自在に弾きこなせたら、どれほどすてきだろう。時にそんなありえないような妄想をする。 でも、それも案外、夢で終わらないのではなかろうか、と思わせてくれる番組がある。NHKの「駅ピアノ・空港ピアノ・街角ピアノ」である。 世界各地の駅や空港、あるいは街角に置いてある、誰でも自由に弾けるピアノにカメラを取り付けて定点観測し、演奏した人にインタビューをする。ナレーションもないシンプルで静かな構成の番組で、始まった頃は「すぐに終わるだろう」と思っていたのだが、平成30年からいまなお続いている。存外、この番組を見ながら、私のように夢を見ている人が多いのかもしれない。 特番に出ていた角野隼斗のような天才ピアニスト、たまに登場する「ピアノ歴何十年です」みたいな人の演奏を聴いていると、「ああ、絶対私には無理」と絶望感に襲われる。 しかし、例えば会社を定年退職してからピアノを習い始めたという人が、ミスタッチをしたり、リズムを崩したりしながらも、自分の弾きたい曲の音を一つ一つ、一生懸命に紡いでいく姿を見ていると「いつかは自分も」と、気持ちが奮い立ってくる。 それだけではない。 地方のロケで地元のプロ野球・広島カープの選手応援歌を次々に弾いてゆく女性や、ピアノを弾きながら有名な唱歌を沖縄の言葉で歌う男性が現れれば、きっと遠く離れた故郷を思い出す人もいるだろう。 職を失いながら、毎日駅にピアノを弾きに来るホームレスの英国人男性や、ロシアの侵略を受ける祖国ウクライナの平和を願い、旅先の空港でピアノを弾く女性らを撮影した海外ロケは、世界各国の人のささやかな人間ドラマを垣間見ることもできる。 名もなき市井の人々が奏でるピアノを巡る、ほんの小さなドキュメンタリーを少しずつ積み重ねただけなのだが、これほど心にうるおいをもたらしてくれる番組はそうない。(正)