「教え子が金メダルを取れれば、それ以上うれしいことない」 アーチェリー古川(青森市出身)引退
日本アーチェリー界をけん引したレジェンドが弓を置く。夏季五輪6大会連続出場の古川高晴(40)=青森市出身、青森東-近大出、近大職=が21日、現役引退を発表した。「好きこそものの上手なれ」を座右の銘に、一心不乱に矢を放ち続けて25年。引退会見では和やかな表情でこれまでの歩みを振り返り、家族らへの感謝を口にした。 沖館中3年のときに偶然見た弓道に憧れたが、進学先の青森東高校に弓道部がなく、「同じ弓だから」とアーチェリー部に入部。的の真ん中に刺さったときの爽快感に取りつかれ、週7日練習した。当時の練習場は大会と同じ70メートルの距離が取れなかったため、土、日曜日の他の部活が始まる前の早朝に校庭に的を出し、ひたすら矢を打ち込んだ。 五輪初出場は2004年のアテネ大会。しかし、極度の緊張から「全然力が入らず、何をしているのか分からない状態だった」。出るだけで満足した大会は個人2回戦で敗退。「もう一回この舞台に立って成績を出したい」との思いが、持ち前の向上心をかき立て、五輪6大会連続出場、三つのメダル獲得の偉業につながった。 一番印象に残っているのは21年東京大会といい「無観客だったが、自国開催で多くの方に応援していただき、メダルを二つ獲得できた」と感慨深げに語った。 全ての五輪を現地で応援した父勝也さん(72)と母礼子さん(70)には「感謝しかない。大きなけがなく続けることができたのは、丈夫に産んでくれた親のおかげ」。食事面などで支えた妻には昨年に引退の意向を告げたが、2人の子どもには会見前日の20日に「パパ、もうアーチェリーおしまいだよ」と伝えた。3歳の長男からは「じゃあこれからずっと遊べるの」と言われた-と、笑いながら明かした。 最後のパリ五輪は目標の頂点に手が届かなかったが、「金メダルを取るために意識を変えて挑戦した。結果はどうであれ、25年間手を抜かずに努力してきたことが誇り」と胸を張る。コーチとして歩む第二のアーチェリー人生に向け、「教え子が五輪で金メダルを取れれば、指導者としてそれ以上にうれしいことはない」。夢の続きを後輩たちに託す。