東北生まれの「小久慈焼」が、ふだん使いにちょうどいいワケ
コロカルニュース
■日本の最北端の窯元 岩手県北東部、久慈市小久慈町でつくられている「小久慈焼」。約200年の歴史をもち、伝統的な窯元としては日本の最北端に位置していることから、「北限の民窯」といわれています。 【写真で見る】「北欧っぽい」そんな印象を持たれることも多い小久慈焼。現代の暮らしに合うデザインに仕上げられています。 小久慈焼の窯元はただひとつ。現在は8代目の下嶽智美(しもだけ さとみ)さんが継いでいます。 「小久慈焼の歴史は詳しくわかっていませんが、八戸城のあたりを掘ったときに当時の焼き物が出てきて、この地域のものだといわれています。おそらく八戸藩に焼き物を物納していたんだと思います。いまのような流通のない時代、地元にある材料で生活道具をつくったのが、小久慈焼きのはじまりだったはずです」 「ハレとケ」でいうと「ケ」の器。日常で使う消耗品として、小久慈焼は使われてきたといいます。記念品や贈呈品として贈られる風習もあったことから、昔からこの地に住んでいる家庭には、いまもたいてい小久慈焼があるそうです。 小久慈焼の代表的なアイテムに、片口やすり鉢があります。「たぶん、江戸時代からつくられてきたものだと思います。片口は軽量カップのようにも使えるし、すり鉢も家の道具として必需品ですよね」 下嶽さんは、こうした昔ながらの実用的なアイテムを中心に、商品を展開しています。先代までは、技巧を凝らした器をつくっていた時期もあったそうですが、下嶽さんの代で原点に立ち返ることにしました。 「小久慈焼は、ずっと地元で使われてきたものですが、地元が過疎化してきて、震災でさらに人口が減りました。つまり、買う人が少なくなったということです。販売先を全国に広げざるを得なくなって、小久慈焼を知らない人に『これが小久慈焼です』といえるものをつくる方針にしました」 下嶽さんはさらに、現代の暮らしに合う器を研究し、小久慈焼のデザインに取り入れています。小久慈焼はずっと、日常生活ためにつくられてきたもの。時代とともに生活様式が変われば、それに合わせて変化するのは、小久慈焼らしいといえるでしょう。 ■小久慈焼ってどんな器? 小久慈焼の大きな特徴は、地元の土を使っていることと、そこから生まれる独自の色にあります。 土は、久慈市内に粘土質の地層が露出している場所があり、そこから採っています。下嶽さん自ら手作業で掘り、車で工房に運んでいるとか。 土は工房で精製し、粘土にします。粘土は一度でも凍ると使えなくなってしまうため、冬場は電気毛布と布団をかぶせ、あたためながら保管するという、東北ならではの手間もかかっています。 こうしてつくられた小久慈焼の粘土は、きめが細かく、焼くと白から肌色になります。 一方、釉薬は白と茶色の2色が基本です。白い釉薬はもみ殻やわらを燃やした灰を原料にしており、茶色い釉薬は砂鉄を原料にしています。どちらも一般的な釉薬ですが、久慈の土との相性で独自の色に焼き上がります。白はやさしい乳白色、茶色はカラメルソースのようなツヤのある深い飴色です。 ■現代の暮らしに合うデザイン 暮らしに根ざしたアイテムであること。久慈の土を使い、白や茶色であること。小久慈焼の条件を満たしたうえで、下嶽さんは使いやすさを追求します。 実際に、小久慈焼は強い主張はないけれど、さりげなく暮らしに馴染み、食器棚のなかから無意識に選んでしまうような使い勝手のよさがあります。どうしたら、そんな器をつくることができるのでしょうか。 下嶽さんは、お客さんとのコミュニケーションを大切にし、小久慈焼を使った感想やリクエストをデザインに反映させているといいます。例えば、小久慈焼のすり鉢にはわずかに口がついていますが、これは口をつけてほしいというお客さんが多いから。 また、自身のバランス感覚もかたちに影響しているそう。「片口の口やコーヒーカップの取っ手は、ボコッとしていていかにもくっつけたように見えるよりも、本体からきれいにラインが続くようにしています。そのほうが僕の好みなんです」 小久慈焼を見て「北欧っぽい」という人が少なくないそう。聞くと、「北欧の食器は好きです。マリメッコとか」とのこと。そんなセンスも、仕上がりに影響しているのかも? かたちが決まり、いざ成形するときは、個体差が出ないよう神経を使うといいます。すべて手作業でつくっているにもかかわらず、機械のように寸法を揃えることを目指しているのだそう。