第170回直木賞「近年稀に見る充実ぶりだった」ーー杉江松恋に聞く、受賞作のポイント
第170回直木三十五賞が1月17日に発表された。6作品が候補となる中、河﨑秋子『ともぐい』(新潮社)と万城目学『八月の御所グラウンド』(文藝春秋)が見事受賞となった。 【第170回直木賞候補作】 ・加藤シゲアキ『なれのはて』(講談社) ・河﨑秋子『ともぐい』(新潮社) ・嶋津輝『襷がけの二人』(文藝春秋) ・万城目学『八月の御所グラウンド』(文藝春秋) ・宮内悠介『ラウリ・クースクを探して』(朝日新聞出版) ・村木嵐『まいまいつぶろ』(幻冬舎) 今回の直木賞の結果をどう見るか。発表前、候補作の充実ぶりに「どれが受賞してもおかしくない」と混戦を予想していた書評家の杉江松恋氏に話を聞いた。 「選評を読んだところ、河﨑秋子さんの『ともぐい』は一抜けで決まったそうです。とにかく文章力がずば抜けていて、感覚的/生理的に訴えかけてくるものがある。明治後期の北海道で孤独に生きている主人公·熊爪が、時代の変化に取り残されていく中で、厳しい自然と向き合って自我を見つめる様を一人称の視点で徹底的に描ききっています。主人公を取り巻く環境とその変化をありのままに描くことによって、人物を浮き彫りにするという技法が素晴らしかったです。人間が社会や環境との関係性の中でどう生きているのかを深く考えた小説で、直木賞受賞も納得の作品です」 選評では嶋津輝『襷がけの二人』と評価を二分したという万城目学『八月の御所グラウンド』もまた、傑作といえる出来栄えだという。 「万城目学さんの『八月の御所グラウンド』は、読んだ時点で直木賞候補になるのは確実だと見ていた作品です。万城目学さんは青春小説にファンタジー要素を取り入れた『鴨川ホルモー』(2006年/産業編集センター)でデビューした後、『悟浄出立』(2014年/新潮社)のような西遊記を下敷きにした中華ファンタジーから、『ヒトコブラクダ層ぜっと』(2021年/幻冬舎)のような極北のファンタジーまで、模索しながらさまざまな作品を書かれてきました。 本作『八月の御所グラウンド』は、その作風が完成形に至ったものだと思います。ファンタジー小説は、どのように非日常を現象させるかが重要な要素ですが、本作は日常から非日常へと移行する場面がさりげなく、技巧的にも大変素晴らしいものでした。キャリアを重ねる中で表現を研ぎ澄ませた末の到達点と言えるでしょう」 一方、今回は受賞に至らなかった作品もまた、一読の価値があると杉江氏は続ける。 「直木賞は作品の完成度が高ければ獲れるとは限らないもので、運も左右すれば、時代性も鑑みられます。今回の直木賞候補となった作品は、どれもその作家にとっての到達点といえるもので、ぜひ読んでほしいものばかりです。 たとえば大きな注目を集めた加藤シゲアキさんの『なれのはて』は、主人公がある人物について調べていくことで、時代の変遷を浮き上がらせる年代記的な作品となっています。次々と語り手を交代しながら群像を描き出していく手法も含めて、これまで様々な作家が挑戦してきた形式の小説ですが、加藤シゲアキさんならではの研ぎ澄まされた感覚で書かれていて、非常に完成度が高い。ミステリーを始めとした娯楽小説のテクニックを巧みに組み合わせた一作と言えます。今回の直木賞は、近年稀に見るほどハイレベルな賞レースで、よくぞこれらの作品を選んでくれたものだと感心したほどでした」 直木賞受賞作はもちろん、候補作もすべて片っ端から読み倒したいところだ。
松田広宣