浅丘ルリ子、終活はしないと告白「共感あるけど、終わりを考えても面白くない!」70年目の女優業は天職
女優の浅丘ルリ子が、今年で女優生活70年目を迎えた。今月13、14日には東京・有楽町のI’M A SHOWで、日活時代に青春の全てを注いだ傑作4作を「1960年代 日活映画☆浅丘ルリ子」として上映し、トークショーを開催する。女優人生の歩みや、終活への思い、「生きている限り楽しいことを考える」という人生観を語った。(奥津 友希乃) 雨が降りしきる中、取材に向かった記者は、あまりの緊張で電車に傘を置き忘れる始末。芸歴70年のベテランを取材するのは初めてで、出演作の感想を書き留めたノートも湿気でじっとりだ。浅丘は「雨だいぶ降ったのね? あら、そのお洋服の袖口の形、とってもすてき」と華やかに笑う。カラッとした朗らかさで相手を緊張させないスターだ。 節目を迎えた大女優は「70年…あっという間でしたよ」と軽やかに振り返る。本名・信子にちなみ“ぶーちゃん”と呼ばれ、洋画に夢中だった14歳は新聞の連載小説「緑はるかに」の映画化を知り、ヒロイン・ルリ子役に応募。2000人から最終審査に残り「キャメラテストで(同小説挿絵の)中原淳一先生が『この子だ!』と私のおさげをバサッとお切りになった。その時、覚悟が決まりました」。“ルリ子カット”と美貌で脚光を浴びる銀幕女優誕生の瞬間だった。 デビュー作で中原氏に目張りを入れてもらった時の感動から、アイメイクには強いこだわりがある。 「髪はお願いしても、メイクは必ず自分でやる。特に目は重要ね。自分だけじゃないの。前に森進一さんの目元がちょっとはっきりしなかったから、目張りを描いてあげたの(笑い)。賛否あったみたいだけど、私は『こういう顔で歌った方がいいじゃん!』って。まあ、そんないたずらしてやってたこともあるわね」 日活の看板女優として活躍した50、60年代は、4作品の台本を手に撮影所に通うのが常だった。 「当時は25日間で1本撮る時代。忙しいなんてもんじゃなかった。裕ちゃん(石原裕次郎さん)や小林旭、(高橋)英樹、渡君(渡哲也さん)の相手役を演じて、皆さんいい人でした。忙しいのに遅くまで飲んで、翌朝の撮影に遅刻するのは旭と裕ちゃんね。最初の3日間は許してたけど、ついに私の堪忍袋の緒が切れて『同じ会社の人間なんだから、ちゃんと来て!』と怒ったこともあります」 純情可憐な少女から、アクションヒロイン、江戸っ子娘に、屈折した大人の情愛まで幅広く演じた。出演作は映画だけで159作。記者も印象的だったのは、裕次郎さんとのコンビによる傑作ロードムービー「憎いあンちくしょう」(62年、蔵原惟繕監督)。英国車ジャガーをぶっ飛ばして日本縦断し、主人公を追う熱っぽい演技は爽快で魅力的だ。 「はちゃめちゃな時代でした。当時私は免許がなくて慌てて教習所で10日で取ったの。左ハンドルだし運転も難しいでしょ。撮影中に混乱してガソリンスタンドでぶつけて大変なことになりました。でもあの頃は『無理』と否定から入ることは絶対しなかった。楽しんでやってみる、それが糧になり今の私があります」 「男はつらいよ」シリーズでは、マドンナとして最多の5作に出演。勝ち気な場末のキャバレー歌手・リリー役で愛された。故・渥美清さんとの思い出話に、自然と大きな瞳が潤んだ。 「リリーさんと私は似ている。本当にこの役に出会えて幸運です。渥美さんは物静かだけど、リリーさんには心を許してくれた感じがありました。(渥美さんの遺作『―寅次郎紅の花』の撮影で)渥美さんの腕が細くなったことに気づいて、山田洋次監督に『寅さんとリリーを結婚させてください』と頼んだこともあった。かなわなかったけどね。でも私は誰に対しても“亡くなった”とは思わない。ちょっと会えていないだけなの」 私生活では71年に俳優・石坂浩二と結婚し、2000年に離婚を経験した。 「私はあんまり面倒みてあげられなくて。彼は何でもできる人だったから。こんなこと言ったら怒られちゃうかな。でも結婚してよかったですね。後悔なんて全くない。結婚してからも女優を続けさせてくれたことにもすごく感謝してます」 83歳で病気もけがもない。健康法は、歌うことで「昔は歌手に憧れてテイチクを受けたけど見事に落とされちゃった。でも美空ひばりさんや古い歌謡曲を歌うのが日々の楽しみ」と声を弾ませる。 同世代は人生の終着点を意識し“終活”を始めているが、「だめだめ! 残された人に迷惑をかけないためって考え方には共感もあるけど、過度に人生の終わりを考えたりしてはだめ。私は終活、全くしてません。終わりを考えても面白くもへったくれもないじゃない! 生きている限り楽しいことを考えるの」と一蹴する。 70年のキャリアを支えるのは、演技論ではない。 「私の場合は若い時に鍛えられた身体と、直感でしょうね。私、演じるってことをよく考えたことはないの。セリフを2~3行読んで、やりたいか、やりたくないか。ただそれだけ。そうしてやって来られたんだから、天職でしょうね」 短い取材時間を気遣ってか、用意されたアイスコーヒーに一度も手を付けず話続けてくれた。取材後、「外はまだ雨かしら…この後は別の取材?それなら飲んで」と手元のコーヒーを差し出してくれた。「さあ、もう一口。糖分入れておくと元気つくわよ!」とほほえむ。ガムシロップが溶け出したほんのり甘いコーヒーの味は、一生忘れない。 ◆浅丘 ルリ子(あさおか・るりこ)本名・浅井信子。1940年7月2日、満州国・新京(現中国・長春)生まれ。83歳。55年に「緑はるかに」で銀幕デビュー。小林旭主演の「渡り鳥」シリーズや石原裕次郎さんのアクション映画でヒロインを務め日活の看板女優に。79年、蜷川幸雄氏演出「ノートルダム・ド・パリ」以降、舞台でも活躍。2002年に紫綬褒章、11年に旭日小綬章を受章。身長156センチ。 〇…「―日活映画☆浅丘ルリ子」は、13日に「銀座の恋の物語」(前11時~)と「憎いあンちくしょう」(後2時半~)、14日に「夜明けのうた」(前11時~)と「愛の渇き」(後2時半~)の上映とトークショーを行う。「人前で話すのは苦手ですが、若い頃と、今の私を楽しんで下さったらうれしいです」と呼びかけた。
報知新聞社