『寅さん』を映画館で一緒に観たあと、渥美清が和田誠に語った「心動かされた言葉」
200冊以上の著作を残したイラストレーターの和田誠さん。装丁やイラストのお仕事も加えると枚挙にいとまがありません。しかしながら、ご自身やご家族について書いた本は決して多くありません。そんな”めったに自分を語らなかった”和田誠さんが、家族や仕事、趣味、交友関係などについて書いた貴重なエッセイ『わたくし大画報』を42年ぶりに復刊することとなりました。第2回では、その中から和田誠さんの各界の著名人との驚くべき交友録の一部を紹介します。 和田誠さんが描いた渥美清さんなどのイラストはこちら ● 世界にひとつだけのマレーネ・ディートリッヒのサイン ぼくは今、サインに狂っている。もちろんサインする方ではありませんよ。してもらう方である。もうミーハーまる出しで芸人さんやら作家の先生にサインをいただいております。ただし、ヤミクモにサインしてちょうだいと言うのではない。 ぼくは一年半前に美術出版社から「PEOPLE」という本を出した。似顔絵集である。これには四百八十人の似顔が入っている。で、この本をですね、つまり自分の保存用の本を持ち歩いて、似顔を描いたご当人に会うたびに、その絵の上にサインを願っているのである。 すでに九十三人の方のサインをいただいているのだけれど、四百八十人にはほど遠い。それに四百八十人部というのは、もう絶対に不可能なのである。故人もたくさん描いているからだ。外国の人も多い。外国行ってまでこの本を持ち歩き、有名人をたずねて廻る、といった度胸はありませんねえ、残念ながら。今は、たまたま会った知人であるとか、何かの機会に紹介してもらったとか、そんな時にヒョイと頼んでいるわけ。
来日した外国人にねだったサインは、ジョン・ウェイン。ロバート・ミッチャム。カトリーヌ・ドヌーヴ。フランク・シナトラ。マレーネ・ディートリッヒ。それにソフィア・ローレン。自慢たらしくて嫌味になるが、なにしろスタアに弱いもんだから。 でもね、皆さんがぼくの絵を気に入ってくれるわけではない。ドヌーヴさんは気に入ってくれたとみえて、サインの下に〈!〉をたくさんつけてくれたけれど、ディートリッヒさんはそうはいきませんでしたね。絵を一目みて「誰? これは」と明らかに不快の表情。そして絵の上にこう書いた。 「これは私ではない。ディートリッヒ」 ぼくはいささかたじろぎました。普通外国まで来て、その国の人がですね、あなたを描きましたとおずおずと絵を差し出したら下手だと思ってもお愛想のひとつくらい言うんじゃないかしら。とは思うものの、ぼくは頭にきたりはしなかった。だってディートリッヒのサインならたいてい名前だけか、機嫌のいい時で「愛をこめて。ディートリッヒ」でしょう。「これは私ではない」なんてサインは、世界でもぼくしか持ってないに違いないのですから。 ● 渥美清さんと映画館で寅さんを観る 渥美清さんといっしょに寅さんの映画を観に行った。新作の「男はつらいよ・寅次郎相合い傘」である。十五本目だそうだが、あいかわらず面白い。しかし映画が終って劇場が明かるくなってからのお客さんの反応も面白かったね。今まで画面の中にいた寅さんが、ふと見ると横にいるのだから。一瞬唖然として、次に直接指さしてゲラゲラ笑う人もいる。物語と現実の区別がその瞬間なくなっちまって、妙な気分なのだろう。 観終って、渥美さんに「良かったですね」と言うと、渥美さんも「面白かったね」と言う。客観的なのである。これには感心した。もし「いやなに」と謙遜なんかするとしたら、映画を自分のものと思っていることになるだろう。うっかりすると、ぼくなんか寅さん映画は渥美清が作っているように思ってしまうが、実は監督はじめスタッフと共に作っているわけで、主演者もまた歯車の一つなのである。それでも渥美清なくして寅さんは考えられないから、当人がこうも客観的になれるのはえらいことだと思うのだ。 ● 横尾忠則、篠山紀信とテレビ出演 テレビジョンというものに初めて出演いたしました。横尾忠則、篠山紀信と共に三十分番組に出たのであります。 出演の依頼をされたことがないでもなかった。しかしテレビジョンの会社の人の出演交渉というのは、およそ次のようなものである。電話をかけてくる。「何月何日何時、お仕事の予定はありますか」。ない、と答えるとする。そしたら「では○○スタジオへおいでください」と言うのだ。つまり、あなたはテレビジョンに出る意志はあるか、と尋ねる手続きをテンから飛ばしているのである。馬鹿じゃないかと思うんだよね。もっとまともな人もいるに違いないのだが、ぼくに関する限りこうだったわけ。で、ぼくは「その時間はヒマだけれど、テレビジョンに出る気は毛頭ありません」と、ケンモホロロに断ってしまうのである。それにしても、ああいう交渉の仕方でやって行けるほど、テレビジョンに出たがる人が多いのでありましょうか。 それでも今回出演してしまった理由は、横尾忠則、篠山紀信両君から依頼されたからであって、この二人には義理があったのね。ぼくが最近出した本「ポスターランド」(講談社)のオビに推薦文を書いてくれたのが、このご両人だったからで、ケンモホロロというわけにはいかなかったのである。