桂ざこばさんは本物の人情家 サンスポ文化報道部長が取材メモで振り返る人柄
上方落語家の桂ざこば(かつら・ざこば、本名関口弘=せきぐち・ひろむ)さんが12日午前3時14分、ぜんそくのため大阪府の自宅で死去した。76歳。関西の芸能界からは多くの悲しみの声があふれた。上方落語を取材していたサンスポ文化報道部の大澤謙一郎部長(52)が取材メモからざこばさんの人柄を振り返った。 【写真】師匠の米朝さんとざこばさん。多くのテレビ番組でも活躍した(1987年撮影) 2024年1月3日、米朝一門の聖地、大阪・サンケイホールブリーゼの舞台にざこばさんが上がった。恒例の新春公演。脚がおぼつかないため、弟子2人に抱えられながら登場。照れながらも笑みを浮かべ、鏡割りを行った。 いきなり「家でつるっと転んでテーブルに当たって、肋骨を骨折したんや」と打ち明け、右脇腹付近に手を当てた。妻に「すぐ病院行き!!」と言われそうだが「嫌や」と断固拒否。翌日、病院で骨折が判明した。それから1カ月が経過し「もう痛くないわ」。これには弟子の桂塩鯛(69)も「もう治ったんでっか?」とビックリ。 6年前に脳梗塞にかかった。リハビリを経て復帰したが、万全とはいかない。「不安やねん。言葉が出てこないときがある」と落語は演じなかったが、得意のぶっちゃけトークで観客を沸かせていた。サービス精神でいっぱいだった。 一番弟子の塩鯛いわく「エエかっこしい」。修業時代、車で迎えにいったり、お使いを頼むと必ず弟子に小遣いを渡した。手渡した後、値打ちをつけるように腕を組んでエイっと胸を張るのが癖だったという。「いつも結構な額だったので」とコツコツためておいた塩鯛の年季(修業期間)が明けたときには、数百万円になっていたとか。それをざこばに明かすと「ナニ~、返してくれ~」と笑ったという。 いつも本音トーク。尖ったテレビでの発言もあり、米朝門下生で一番不肖の弟子といわれた。暴漢に襲われたこともあった。やしきたかじんさん(故人)ともぶつかった(のちに和解)。上方落語協会とも大ゲンカ(のちに復帰)した。瞬間湯沸かし器として有名だったが、生放送中、感動して泣き出したことも幾多。本物の人情家の下には孫弟子を含めれば13人の門下生が集まった。 4月30日、3人の弟子の襲名披露会見が最後の表舞台となった。「元気だったのに。急な話で本当にびっくりしています」とは米朝一門の桂佐ん吉(40)。人生の高座から降りる瞬間まで、周りをビックリさせていた。