事務所を転々→昨年独立、デビュー32年の矢部美穂“芸能界サバイバル術”「自分を信じると願いは叶う」
東京・世田谷区で経営のバーは開店14年
「いらっしゃいませ! こちらのお席にどうぞ」。東京・世田谷にあるバー・YABEKEのドアを開けると、タレントの矢部美穂がいた。1992年、アイドル雑誌のオーディションでグランプリを獲得し、芸能界デビューから約32年。経営するバーで彼女の「今」を取材した。(取材・文=白川ちひろ) 【写真】「服のサイズが同じ」と笑顔…夫・山林堂信彦騎手と矢部美穂のラブラブ2ショット 「コートをお預かりしますね。ママ、こちらのお席のご注文お願いします」 矢部は店内を見渡し、てきぱきと接客対応をしていた。かつては、ぬいぐるみを抱きしめてテレビ出演し、芸人たちからツッコミを入れられていた「不思議キャラ」の雰囲気はない。 「芸能界を目指したきっかけは、クラスでいじめにあっていたからです。オーディションに合格したら東京に行ける。そんな思いでいろんなところに写真を送っていました。当時いじめられていた理由……。何だろうな。よく、『きれいだからねたまれたんじゃない』と言ってくれる方もいるんですけど、それは違うと思うんですよ。当時の私はいるかいないか分からないくらい暗くて、何もしゃべらなくて、いつも下を向いている子だったんです。『矢部菌』なんてコソコソ陰口を言われて、学校にも行きたくなくて……。先生も気づいていたはずなのに、何もしてもらえなくて、当時は親にも言えず、1人で抱え込んでいました」 その状況下、15歳でデビュー。アイドル時代のことを聞くと、サバサバと振り返った。 「デビュー当初は、不思議ちゃんキャラを演じていましたね。番組にぬいぐるみを抱いて出たり、しゃべり方も今よりずっとゆっくりでした。それが芸人さんにウケて、たくさんのバラエティー番組に呼んでいただくことができました。私をいじめていた同級生たちは、私のオーディション合格を知ってからは手のひら返しですよ。急に私をチヤホヤしてきて、デビュー後は『あの人のサイン、もらってきてほしいんだけど~』って、友達気分で接してきました。本人たちにはいじめたという自覚すらなかったのかもしれません」 アイドルの年齢を過ぎても、ドラマ、映画、CMなどに出演。2010年、母の文子さんや元タレントの妹らとともに、YABEKEをオープンした。当時、飲食店を経営する芸能人は多くはなかったという。 「ありがたいことに今年で14周年です。『矢部美穂の店』と知らないお客さんもたくさんいらっしゃいます。妹2人は結婚してお店から卒業しているので、今年で75歳になる母と二人三脚でやっています。私はお酒があまり飲めないので、経理をやったり、オーナー的なポジションですね。芸能人が経営する店って、ご本人がいないことが多いですが、私は週1で必ずいます。店のコンセプトは、『アットホームな空間でくつろいでもらうこと』お客さま『家族っていいな』『友達の家に遊びに来た』ような感じになってもらい、仕事や恋愛の相談をされたら、お説教やアドバイスもしています(笑)。いつまでも、『ただいま』と言ってもらえるような店でいたいです」 その後、数々の事務所に所属して2023年、自身で矢部美穂プロダクションを立ち上げた。そんな矢部に厳しい芸能界で活動を続けていられる理由を聞いてみた。 「『信じるものは救われる』じゃないですけど、『自分を信じると願いはかなう』を信念にしています。だからこそ、心で思うだけじゃなく言葉にして伝える。そうすると、不思議と誰かが聞いていてくれて願いへと導いてくれるんです。あとは、人は1人じゃ生きていけないですから、人とのご縁を大切にしています。助けてくださった方にはその時は難しくても、必ずどこで返すという気持ちで過ごしています。だからなのか、運と人のご縁でこうしてやってこれているのかもしれません」