上野千鶴子に「結婚しないのか」と言い続けた父親は、70歳を過ぎてやっと娘のキャリアを認めた
■北陸の医師だった父親には「外の顔」「内の顔」があった とはいえ、男性には外の顔と内の顔があるものです。開業医だった父の外の顔はすばらしい職人でした。葬儀に参列してくださった患者さんから聞いたのですが、父は皆さんの体調を熟知しており、診療も対応も非常にきめ細やかだったそうです。父が患者さんからどれほど信頼されていたか、そのとき初めて知りました。 一方、内の顔は先ほどお話しした通り。加えて、兄・私・弟の3兄弟に対しても、息子と娘では接し方がまったく違いました。 あるとき、父は兄と弟に「大きくなったら何になる?」と問いかけました。ワンマンな人ですから自由な答えは許されません。父は兄には建築家に、弟にはエンジニアになるようにと言い聞かせました。ところが私の順番が回ってこなかったので、自分から「私は何になるの?」とたずねたんです。すると父は、そこにいたのかという顔をして、「ちこちゃんはいいお嫁さんになるんだよ」と言いました。 そのときに悟ったんです。私は期待されていない、なぜなら女だから、と。10歳のときのことでした。 私が大学に行きたいと言ったときも同じです。父は反対しませんでしたが、それは女の子にとって大学は嫁に行くまでの時間稼ぎでしかないと思っていたからです。兄や弟には取らせた運転免許も、「女の子は助手席に座るものだから」と言って取らせてくれませんでした。 父にとって娘はペットだったんですね。かわいがるし好きなことをさせてやるけれど、期待はしないし自立も望まない。父にとって私はそんな存在だったんだなと思います。 ■「結婚しないのか」と言い続けた父が娘のキャリアを認めた瞬間 そういう人だったので、大学院を卒業しても結婚も出産もせず働き続ける私をさっぱり理解できないようでした。結婚しないのか、子どもを産まないのかと、ずいぶん長い間言われ続けたものです。 そんな父も、70歳を過ぎてからは少し変わりました。私が東京で一人暮らしを始めたころに家を訪ねてきて、3週間ほど滞在するうちにぽつりと「女が働くのもいいものだねぇ」と言ったのです。 この変化は、やはり母が先に亡くなったことが大きかったと思います。母が生きていたときは自分ではお茶ひとつ淹れなかった父が、先のセリフを言ったときには一人でご飯を炊けるようになっていました。「人間って70歳を過ぎても変わるんだ」と思ったものです。