「きらっと光りたかったけど、にぶーくしか光らへん」火野正平さんが見せたいぶし銀の輝き
時代劇や2時間ドラマなどの名バイプレーヤーとして多くの作品に出演し、数々の女性遍歴からプレーボーイとしても知られた俳優の火野正平(ひの・しょうへい、本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが14日に死去した。75歳。所属事務所が20日、公式ホームページで発表した。事務所によると、4月から持病でもある腰痛のため療養していたが、夏に腰部を骨折したことで、さらに体調を崩していたという。 【悼む】 作品を引き締め、余韻を残す山椒(さんしょう)のような役者。役との向き合い方は深く、緻密(ちみつ)だった。東日本大震災後、原発内に残った50人の作業員を描いた映画「Fukushima 50」(20年)でのインタビューが印象深い。 「映画って見た人それぞれの感じ方でいい。俺が『あーだ、こーだ』と話すのは変な気がしてな」。照れ隠しと分かるのだが、最初にそう言われ、面食らった。若い仲間を守るため高線量の放射線の中に飛び込む役だった。 「ちょっとの役と思ったら違ったな。防護服に酸素ボンベ。あの時もこんな息苦しい中で作業されていたんだよな」。役は原発の最前線で奮闘した実在の人物。「その人に絶対に恥ずかしくないように。きらっと(芝居で)光りたかったけど、にぶーくしか光らへんかったんちゃうかな」と謙遜した。が、いぶし銀の光沢はまぶしく輝くよりも重みがあった。間違いなく火野の代表作だ。 この後、“こころ旅”の話をした。全国津々浦々での人との交流は人生観に変化を与えていた。地震、水害、火山の噴火…災害に言及した。「どこ行っても元被災地やと感じる。日本ってそういう島、と改めて思う。でも人は離れず、やっぱり日本に住みたいと思うんよ」。旅気分でなく、そんな思いを抱えて自転車をこいでいた。(内野 小百美)
報知新聞社