岡田麿里、監督業を経て見つけた“脚本との向き合い方” 「最もリアルに近づいた」
岡田麿里が明かす、『ふれる。』で“ハタチ”の岐路を描いた理由
●描きたかったのは「“ハタチ”ならではの微妙な男女の差」 ――幼馴染の3人の共同生活に、女子2人が混ざっていく形で物語が展開しますが、全員が“20歳”という点には、どういった意味づけがあったんですか? 岡田:“ハタチ”ならではの微妙な男女の差というのも描けるんじゃないかなって思ったんです。男の子同士のわちゃわちゃした共同生活ではあるけど、単なる学生生活じゃなくて、思春期を過ぎて、上京して......。そういう、一段階先の経験をしている子たちを描きたかったんです。実は、今回の作品は『あの花』を考えた時の気持ちと少し重なるところがあって。『あの花』は、友達として関係を築いてきた子たちが、高校生になって、いろんなものがくっついちゃって一緒にいられなくなる……でも、また友達に戻る。今回の『ふれる。』は逆です。本来だったら友達にならなかった子たちが、「ふれる」のおかげで友達になる。そこから生まれる歪みたいなものも書けたらなと。 ――20歳は、大学生から社会人までいろいろな生活環境を持つ人が多い時期でもあると思います。実際に3人は幼馴染という共通点を持ちながらも、それぞれが異なる道を歩んでいました。 岡田:彼らの行動は、すごくシンプルなんです。例えば、秋はみんなと離れたくないという思い、諒は家庭の事情で働くしかないし、優太は夢のために上京してます。島から出ることを選んだことは繋がっているにも関わらず、生き方そのものは割とそれぞれ。だからこそ、本来だったら近づかない感じがするのかもしれませんね。特に秋は変わることを望んでないから、ずっと島にいたかったくらいだと思うんですよ(笑)。でも、「みんなと一緒にいたい」という思いから島を出てきてしまった。 ――長井監督も「通常だったら主人公になりえない人物にフォーカスしています」と公式サイトでコメントされていました。 岡田:秋は本当に変わったキャラクターですよね。みんな状況を動かしたいのに、秋だけ動かしたくなかったり。だから逆に、すごく色々なことが起こる。永瀬さんの声も印象的でしたし、いろんな要素が組み合わさって、「本当に秋がいる」という感じがしたんです。 ――「アニメーションでありながらも、実写的な雰囲気に」という演出は脚本の中でも目指していたのでしょうか? 岡田:いえ、今回の台本では、特別にリアリズムを追求したわけではないんです。もちろん、現実のコミュニケーションの細かなところは描きたかったんですけど。でも、結果的に見ると、今まで3人でやってきた作品の中で最もリアルに近づいたかなという気がします。 ――岡田さんからみて、そうしたリアリティが生まれた理由はどこにあると思いますか? 岡田:秋の存在が大きいように思います。見た目、声、性格………それぞれがちょっとずつズレているんだけど、それが逆に秋という人物をより立体的に、リアルに感じさせてる気がします。田中さんの手がけた秋の外見と、永瀬さんの声の相乗効果ですね。秋の性格だったら、本来ならあんなにカッコいい見た目にしないんですよ。逆にあの見た目が先にあったなら、あんなに純粋で内向的な子にはなりにくい。でも一見バラバラに見える要素が、永瀬さんの優しい声も含めて、「繊細さ」という共通点で繋がっているなって。 ――見た目から想像する性格と声が違うし、性格から想像する見た目と声も違う。そこが、秋の人間らしさに繋がっているんですね。 岡田:そのバランスが絶妙で、私はすごく好きなんです。「本当にいるんだな」と思わせてくれるから。主題歌を担当していただいたYOASOBIさんの「モノトーン」の原作小説(『ふれる。の、前夜。』)を書く時も、永瀬さんの声が頭に浮かんでいたんですよ。見た目は大人びているのに、少年のような、声変わり前の優しさがあるみたいな。その声のイメージから、言葉で上手くコミュニケーションできない一方で、感情が高ぶると先に手が出てしまうような......幼なさもあるけれど、優しい子なんだろうなって。 ――女性キャラクターについては、どのようなことを意識されていましたか? 岡田:男の子が主人公の作品だと、女の子がヒロイン扱いになりがちなんですけど、地に足がついた感じを出したいなと思いました。ちゃんと泥まみれになって苦悩している感じ。それぞれのキャラクターの行動に、ちゃんとした理由や考えがあるというか。特にこのくらいの年齢の男女って、互いに「異性が何を考えているかわからない」と思うことがありますよね。そういった部分をしっかり描きたかったんです。 ――作品に描かれた男女間のすれ違いやミスコミュニケーションは、多くの観客の方にとって身近な要素だったように思います。 岡田:コミュニケーションにおいては、女の子の方が一つクッションを置くというか、余計なことをしがちだと思うんです。自分を守らなきゃいけない場面が多いからこそ、そうやって人間関係をうまく回そうとする。でも、それが男の子にはわからなくて、怖くなっちゃったり「なんだよ」と思ったりする。例えば奈南は、強かに見えることもあるかもしれないけど、私の中ではすごく優しい子なんです。傷つけたくないから相手を受け入れちゃう。結局のところ、みんな自己評価が低いのかもしれません。そういった20歳の男女の絶妙な関係のもつれを描きつつ、「でも結局みんないい子なんだよ」というのが伝わっていれば嬉しいです。 ――本作を作っていく中で、長井監督と田中さんと3人で積み上げてきた経験が活きていると感じる瞬間はありましたか? 岡田:やっぱり、お互いの好きなものや嫌いなものがわかっているのは大きいですね。今回に限らず、劇場作品やオリジナル作品を作る時に、必ず大きく踏み出さなければいけない瞬間があるんです。小さく作っちゃうと、どこかで行き詰まっちゃう。その時の方向性の決め方に、時々不安になることもあるんですよね。(長井監督は)「こういうの、好きなのかな」みたいに。でもその不安に引っ張られすぎずに進められるのは、長年一緒にやってきたからこそかもしれません。 ――田中さんについては? 岡田:先ほど秋の話をしましたが、表情一つでキャラクターの心情を表現してくれる、田中さんの絵にも本当に助けられています。本来シナリオライターは、画作りをする方と直接やり取りする機会は少ないんですが、長い付き合いのおかげで、時には意見交換ができたりして。そういう、お互いのことがある程度わかっていることの強みは大きいと思います。 ――近年、『さよならの朝に約束の花をかざろう』『アリスとテレスのまぼろし工場』で監督としても活躍されていますが、監督業への挑戦も、脚本との向き合い方に何かヒントがあったのでしょうか。 岡田:脚本って、制作過程でどんどん変わっていくんです。具体的にいえばセリフの変更があったり、シーンがまるごとなくなったり。でもそれは、チームで作品を作っていく中で必要なプロセスなんです。尺の関係や絵にした際の見え方などで、そのままの流れでは使えないというのがあるし、脚本をたたき台にすることで、作品の方針が固まってくるというのもあるし。アニメーションは、監督を中心にみんなで作り上げていく共同作業なので、脚本は素材のひとつなんですよね。ただ、そうなると捉え方の難しい感情やシーンを描けなくなってくる。そこを掘り下げたいのなら、やはり現場に行かなくちゃと思ったんです。すべての役割の人と接することで、より深く作品に向き合ってみたくて、監督をやらせていただきました。 ――監督を経験したことで、脚本家としての視点や台本との向き合い方に変化はありましたか? 岡田:「脚本は監督に捧げるつもりで書く」って、いろんなインタビューで答えてきたのですが(笑)。脚本を書く時には、「監督がやりたいことって何だろう」と監督が求めているものや、望む脚本を書こうと思っていたんです。でも、自分が監督をやってみると、スタッフがガンガン意見をぶつけてくれることが本当にありがたくて。まったく自分の好みではない意見をぶつけて、脳みそを揺さぶってくれるからこそ、「あ、これもありだな」とか考えられる。 ――なるほど。 岡田:だから、「監督の考えとは違うかも」と感じたとしても、そこで大人ぶって出し惜しみしない。強いアイデアを思いついたなら、NGの可能性が高いとしても監督にぶつけて、その上で固めていく方がいいなと思います。特に、オリジナル作品の場合は0からのスタートなので、良い作品を作りたいなら、“みんなで揺らしてなんぼ”なんです。拒否されたり、変わっちゃったりして落ち込むこともあるし、無難に監督が求めてるものを予測して書いた方がいいのかなって思うこともある。でも、それが必ずしも求められてるものじゃないんだなというのを感じました。
すなくじら