消えた唐辛子、復活へ 朝鮮半島にルーツ?「十久保南蛮」
下伊那郡天龍村で、ある農家が栽培していた特別な唐辛子を復活させる動きが盛り上がっている。栽培していたのは2021年に85歳で亡くなった村沢崇さんで、親族によると「朝鮮の人から種をもらった」らしい。村では戦時中、平岡ダム建設のため朝鮮人が多く動員され戦後定住した人もいる。村沢さんが種をもらった人のルーツは定かでないが、唐辛子を調べた専門家は朝鮮半島から来た品種が、在来種と交雑した可能性があると指摘している。 【地図】十久保南蛮を生産している天龍村・十久保地区
村沢さんは同村平岡の十久保(とくぼ)地区で暮らし、「十久保南蛮(なんばん)」として近隣で販売していた。実の長さは10~15センチ。青い状態ではフレッシュな辛さがあり、赤い状態では果肉が甘く、種は辛みが強い。
10年ほど前、村の農家の板倉貴樹(たかき)さん(47)が村沢さんに唐辛子をもらった。食べてみておいしさに驚き、村沢さんから種を譲り受けた。栽培を試みたが、手が回らなくなって中断。だが20年、伝統野菜を調べている信州大農学部の松島憲一教授(56)に、十久保南蛮を残した方がいいと背中を押された。
21年春、冷蔵庫で保管していた種をまくと発芽した。一株に60個ほど実がなった。板倉さんは「実が軽く、狭い面積でも栽培できる。傾斜地が多い村内で高齢者でも栽培しやすい」と考え、栽培を村内の農家に呼びかけた。今年、6人が計約5アールで育てた。
村沢さんの親族によると、村沢さんは1993年ごろには唐辛子を栽培していた。「朝鮮の人からキムチを漬け込むときに使う唐辛子の種をもらった」と話したという。村では唐辛子を米こうじとしょうゆに漬ける食文化がある。板倉さんは、消費量を伸ばすために、十久保南蛮の加工品を村の特産品にできないかと構想中。今後、生産者組合を立ち上げる一方、食品メーカーと商品開発を進める計画だ。
松島教授が十久保南蛮を分析したところ、同郡阿南町で栽培される「鈴ケ沢南蛮」や、天龍村と隣接する浜松市天竜区水窪町の在来種などとDNA配列の類似性が認められたという。松島教授は「証言を踏まえると、朝鮮から来た品種が交雑して今の十久保南蛮になったのではないか」と推測している。(藤はな)